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お手軽両国散歩 1 [観光]

東京の両国といえば、両国国技館に代表されるように、相撲の街として知られていますが、実は隠れた歴史スポットでもあります。私も数年前に、両国近辺をふらふらと散歩したことがあります。

これは京葉道路沿いで見つけましたが、芥川龍之介生育の地です。芥川龍之介は両国で育ったというのを、これを見て初めて知りました。写真には撮りませんでしたが、近くの両国小学校にも、芥川龍之介の石碑があったような気がします。
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続いて京葉道路の南側、両国小学校から少し西に位置したところに、本所松坂町公園があります。この辺り一体はあの吉良上野介の吉良邸の跡地ですが、今では分割されてしまっていてその面影はありません。この公園は当時の敷地の北の外れに位置するようで、この中に吉良邸の井戸があります。
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その本所松坂町公園のすぐ南に、吉良まんじゅうを売っている大川屋という和菓子屋さんがあります。他にも店を出しているようですが。まんじゅうはおいしかったです。
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さて吉良邸跡を離れ、少し北に歩くと、時津風部屋があります。上はマンションになっているので、部屋の看板を探さないと建物の外見では相撲部屋とはわかりません。ちなみに弟子が亡くなった事件は名古屋で起こり、ここではありません。
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入口の上に「双葉山相撲道場」とありますが、部屋の創始者が昭和の大横綱、不滅の69連勝の双葉山だったことにちなむものです。双葉山は強いだけでなく、品格も抜群だったといわれています。双葉山の著書「相撲求道録」は大鵬のまえがきなどを加え、「横綱の品格」とタイトルを改め、昨年再版されています。

時津風部屋を東へ進み、両国小学校を過ぎると両国公園が出てきます。ここが勝海舟生誕の地です。下級武士の家に生まれた勝海舟でしたが、黒船来航をきっかけに抜擢されます。
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ちなみに写真では見にくいですが、この碑は西郷隆盛(吉之助)によって書かれています。勝海舟が亡くなったのは、西郷隆盛より20年以上も後のことですが、本当に西郷がこの文字を書いたのか?西郷存命中にこの石碑を建てることを決めたなら、つじつまは合いますが、どうも謎ですね。あるいは別人か?

両国公園を東へ向かい、清澄通りを更に東へ行くと、小林一茶住居跡があります。道端に印があるだけですが。
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(つづく)
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