鞆の浦の旅 19.対潮楼 [鞆の浦]
ここも鞆の浦の貴重な歴史遺産です。外せません。
江戸時代の朝鮮通信使が、この寺から見える風景を絶賛し、「日東第一形勝」(=日本で第一番の景勝)と評しています。当時とほぼ変わらない景色を、我々も楽しむことができます。
江戸時代の朝鮮通信使が、この寺から見える風景を絶賛し、「日東第一形勝」(=日本で第一番の景勝)と評しています。当時とほぼ変わらない景色を、我々も楽しむことができます。
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鞆の浦の旅 18.食事処 おてび [鞆の浦]
鞆の浦は夜が早く閉まる店が多い中、9時半まで営業している、ありがたい店です。
950円の小魚定食を食べました。中身はネブト、エビ、ふぐ、いろんな魚の甘露煮、唐揚げ、酢漬け、そしてたこに辛子味噌がついています。結構しっかり食べられます。
有名人もたくさん訪れているようです。
http://tomomachi.jp/cuisine/2011/05/post-3.html
950円の小魚定食を食べました。中身はネブト、エビ、ふぐ、いろんな魚の甘露煮、唐揚げ、酢漬け、そしてたこに辛子味噌がついています。結構しっかり食べられます。
有名人もたくさん訪れているようです。
http://tomomachi.jp/cuisine/2011/05/post-3.html
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鞆の浦の旅 16.山中鹿介首塚 [鞆の浦]
鞆の浦に山中鹿介の首塚があるとは、全く想定外でした。静観寺のすぐ前にあります。
山中鹿介は戦国時代、毛利氏と対立していた山陰の尼子氏の武将で、毛利氏によって謀殺されています。
http://www.fukuyama-kanko.com/hyaka/spot055.html
http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/sys/data?page-id=5440
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鞆の浦の旅 15.寺社の数々 [鞆の浦]
<株主優待生活> ノエビア フリーチョイス [株主優待]
ノエビアの株主優待商品がこの前届きました。
フリーチョイスの商品です。
最近のノエビアは、経費節減を進めているようです。優待商品の申し込みが、当初FAXも可能だったのが数年前に廃止され、更にカタログに有名女優を起用しなくなりました。
そして前回まではカタログが郵送されてその中から優待品を選ぶ形だったのが、今回からは株主総会決議通知と一緒に株主IDとパスワードが送付され、ノエビアのサイトから商品を選ぶ形となり、カタログの送付が廃止されました。この変更と同時に、今回から優待額が1割アップされました。
優待額が増えたのはうれしいのですが、パソコンを使い慣れていないお年寄りなどの中には、結構戸惑う人も多かったのではとも思います。恐らく過去の申し込みの統計を取って、パソコン利用者が多いということで、申込方法の変更に踏み切ったのだろうとは想像しますが。
また、これらの変更経緯の趣旨説明がIDとパスワードの送付文書の中に一切なく、ちょっと唐突で片手落ち、一方的・事務的で心がないように感じました。
ノエビアさん。もう少し物事は丁寧にお願いします。株は売らないで持ち続けますけどね。
フリーチョイスの商品です。
最近のノエビアは、経費節減を進めているようです。優待商品の申し込みが、当初FAXも可能だったのが数年前に廃止され、更にカタログに有名女優を起用しなくなりました。
そして前回まではカタログが郵送されてその中から優待品を選ぶ形だったのが、今回からは株主総会決議通知と一緒に株主IDとパスワードが送付され、ノエビアのサイトから商品を選ぶ形となり、カタログの送付が廃止されました。この変更と同時に、今回から優待額が1割アップされました。
優待額が増えたのはうれしいのですが、パソコンを使い慣れていないお年寄りなどの中には、結構戸惑う人も多かったのではとも思います。恐らく過去の申し込みの統計を取って、パソコン利用者が多いということで、申込方法の変更に踏み切ったのだろうとは想像しますが。
また、これらの変更経緯の趣旨説明がIDとパスワードの送付文書の中に一切なく、ちょっと唐突で片手落ち、一方的・事務的で心がないように感じました。
ノエビアさん。もう少し物事は丁寧にお願いします。株は売らないで持ち続けますけどね。
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鞆の浦の旅 14.医王寺から眺める、鞆の浦の夕べ [鞆の浦]
医王寺は、鞆の浦の西の山の中腹に位置する、大きな寺です。眺めがよいということで、行ってみました。
仁王門です。
鞆の浦が一望できます。
仙酔島も見えます(右前方)。
寺も建物が立派です。
シーボルトも鞆の浦を訪れていたとは(1826年)、驚きです。長崎と江戸の往復の際に、鞆の浦を経由していたのでしょう。
http://www.fukuyama-kanko.com/hyaka/spot058.html
仁王門です。
鞆の浦が一望できます。
仙酔島も見えます(右前方)。
寺も建物が立派です。
シーボルトも鞆の浦を訪れていたとは(1826年)、驚きです。長崎と江戸の往復の際に、鞆の浦を経由していたのでしょう。
http://www.fukuyama-kanko.com/hyaka/spot058.html
鞆の浦の旅 13.平賀源内生祠 [鞆の浦]
平賀源内を生存中にまつった史跡があり、行ってみました。
「生祠」とは、生存中に神としてまつることだそうです。
途中、このような危険地域もありました。
行ってみると、平賀源内愛好家の方々には申し訳ないですが、素人的にはどうということはない場所でした。でも史跡は史跡です。維持保存されてきた人々に敬意を表します。
海の眺めはまずまずでした。
http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/sys/data?page-id=5457
「生祠」とは、生存中に神としてまつることだそうです。
途中、このような危険地域もありました。
行ってみると、平賀源内愛好家の方々には申し訳ないですが、素人的にはどうということはない場所でした。でも史跡は史跡です。維持保存されてきた人々に敬意を表します。
海の眺めはまずまずでした。
http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/sys/data?page-id=5457
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鞆の浦の旅 11.鞆城跡 [鞆の浦]
現在は福山市鞆の浦歴史民俗資料館のある小高い丘で、鞆の浦を一望することができます。
ここは戦国時代、京都を追放された足利義昭が、毛利氏の庇護のもと過ごしていた場所でもあります。
案内板を見つけましたが、足利義昭のことには全く触れられていませんでした。
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/5309.html
ここは戦国時代、京都を追放された足利義昭が、毛利氏の庇護のもと過ごしていた場所でもあります。
案内板を見つけましたが、足利義昭のことには全く触れられていませんでした。
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/5309.html
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