伊豆長岡 大助 [伊豆長岡・韮山]
伊豆長岡のど真ん中にある、和食の店です。
伊豆長岡には、食事のできる店が意外と少なく、宿に素泊まりする人にはちょうどいい店かも知れません。うどん、そば、丼もの、色々揃っています。
写真は天ぷら定食ですが、ボリューム十分、お店の人も話し好きで、庶民的なお店です。
http://www.izunotabi.com/jpn/eat/2009/03/-1-114.html
伊豆長岡には、食事のできる店が意外と少なく、宿に素泊まりする人にはちょうどいい店かも知れません。うどん、そば、丼もの、色々揃っています。
写真は天ぷら定食ですが、ボリューム十分、お店の人も話し好きで、庶民的なお店です。
http://www.izunotabi.com/jpn/eat/2009/03/-1-114.html
韮山 ひよしや [伊豆長岡・韮山]
伊豆箱根鉄道・韮山駅の目の前にある喫茶店です。
韮山駅周辺、あまり外食の店がなく、貴重な存在です。
昼に入りましたが、メニューは色々あります。手っ取り早くカレーを注文しました。値段は忘れましたが、オーソドックスなカレーです。生野菜もついて健康的、みかんもありがたいです。
http://www.izunotabi.com/jpn/eat/2009/03/au-1-29.html
韮山駅周辺、あまり外食の店がなく、貴重な存在です。
昼に入りましたが、メニューは色々あります。手っ取り早くカレーを注文しました。値段は忘れましたが、オーソドックスなカレーです。生野菜もついて健康的、みかんもありがたいです。
http://www.izunotabi.com/jpn/eat/2009/03/au-1-29.html
韮山 江川邸 [伊豆長岡・韮山]
江戸時代の幕府韮山代官・江川氏の屋敷が現在も保存され、見学することができます。国の重要文化財です。
表門から入ります。
表門を入ると、玄関が見えてきます。
こちらは屋敷の表門を玄関側から見たものです。表門に対して玄関がやや斜めに位置しているのがわかるでしょうか。これは、敵が門の外から矢を放っても、玄関にまっすぐ飛んで来ないようにするために、真正面ではなくあえて少しずらして造られています。
ちなみにこの玄関口、NHK大河ドラマ「篤姫」のロケにも使用されたそうです。
幕末の代官・江川英龍はパンを兵糧用に用いようと考え、この屋敷の土間で実際にパンを焼かせました。日本初のパンはここで作られました。乾パンのような保存性の高いもので、とんでもなく硬いパンですが。
敷地内には、立派な蔵が並んでいます。
伊豆箱根鉄道韮山駅から少々距離があり、歩いて20分程かかりますが、途中に広がる農地の風景を楽しみながら、のんびり歩くのもいいものです。
www.egawatei.com/
表門から入ります。
表門を入ると、玄関が見えてきます。
こちらは屋敷の表門を玄関側から見たものです。表門に対して玄関がやや斜めに位置しているのがわかるでしょうか。これは、敵が門の外から矢を放っても、玄関にまっすぐ飛んで来ないようにするために、真正面ではなくあえて少しずらして造られています。
ちなみにこの玄関口、NHK大河ドラマ「篤姫」のロケにも使用されたそうです。
幕末の代官・江川英龍はパンを兵糧用に用いようと考え、この屋敷の土間で実際にパンを焼かせました。日本初のパンはここで作られました。乾パンのような保存性の高いもので、とんでもなく硬いパンですが。
敷地内には、立派な蔵が並んでいます。
伊豆箱根鉄道韮山駅から少々距離があり、歩いて20分程かかりますが、途中に広がる農地の風景を楽しみながら、のんびり歩くのもいいものです。
www.egawatei.com/
タグ:重要文化財
伊豆長岡駅前で見つけた、謎のゆるキャラ [伊豆長岡・韮山]
現地で無意識に撮りましたが、妙に気になります。
朴訥として、かつよく特徴を捉えている感じ。背景がピンクなのも、インパクトあります。
そして見落としがちの、看板左下の「源氏ボタルよりともくん。」も、控えめにいい味出してます。
以前教科書に必ず載っていた源頼朝像は、どうも別人だったらしいという件は、ここではあえてツッコまないことにします・・・。
伊豆長岡温泉に行って下さい!
朴訥として、かつよく特徴を捉えている感じ。背景がピンクなのも、インパクトあります。
そして見落としがちの、看板左下の「源氏ボタルよりともくん。」も、控えめにいい味出してます。
以前教科書に必ず載っていた源頼朝像は、どうも別人だったらしいという件は、ここではあえてツッコまないことにします・・・。
伊豆長岡温泉に行って下さい!
タグ:ゆるキャラ
韮山 蛭ヶ島 [伊豆長岡・韮山]
源頼朝が平家打倒のために挙兵するまでの20年間、京より配流、幽閉されていた場所です。
歴史の授業では「蛭ヶ小島」として習ったような記憶がありますが、現地では「蛭ヶ島」と表示されています。
現地のボランティアの人の話では、
・近くを流れる狩野川は、当時蛇行していて、その中州の島に頼朝は配流されていた。その場所は正確にはよくわからない。
・昔は蛭ヶ小島の他に蛭ヶ大島というのもあって、蛭が多かった方が蛭ヶ大島。
ということでした。
現在の蛭ヶ島の周辺は、田んぼや住宅地などになっています。
配流地を記念して、小さな公園があり、源頼朝と北条政子の像もあります。
蛭ヶ島茶屋なるものもあり、休息がとれます。
伊豆箱根鉄道韮山駅より少々歩きますが、徒歩圏内です。
http://www.izunotabi.com/jpn/see/2009/03/-1-60.html
歴史の授業では「蛭ヶ小島」として習ったような記憶がありますが、現地では「蛭ヶ島」と表示されています。
現地のボランティアの人の話では、
・近くを流れる狩野川は、当時蛇行していて、その中州の島に頼朝は配流されていた。その場所は正確にはよくわからない。
・昔は蛭ヶ小島の他に蛭ヶ大島というのもあって、蛭が多かった方が蛭ヶ大島。
ということでした。
現在の蛭ヶ島の周辺は、田んぼや住宅地などになっています。
配流地を記念して、小さな公園があり、源頼朝と北条政子の像もあります。
蛭ヶ島茶屋なるものもあり、休息がとれます。
伊豆箱根鉄道韮山駅より少々歩きますが、徒歩圏内です。
http://www.izunotabi.com/jpn/see/2009/03/-1-60.html
韮山反射炉 [伊豆長岡・韮山]
幕末に当時の韮山代官・江川太郎左衛門英龍とその子・英敏が建設した反射炉が、伊豆の韮山に現在も残っています。
反射炉は、金属を溶かして大砲を鋳造するための溶解炉で、1854年に着工、1858年に完成しています。
江川太郎左衛門英龍は、東京湾の台場建設にも主導権を発揮した開明的な人物として知られています。反射炉の入口脇に銅像もあります。
国内に現存する反射炉は、この伊豆韮山と長州・萩の2ヶ所ありますが、実際に見た感じでは、こちらの韮山の方がはるかに保存状態はいいです。ちなみに萩の反射炉は無人です。
この反射炉、世界遺産への推薦が決定したようです。登録されるかどうかはわかりませんが、行くなら今のうちかも知れません。
余談ですが、この反射炉の脇にある観光売店に、以前NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」のロケで笑福亭鶴瓶と女優の杏が腰掛けた椅子があります。(なお、写真のビデオ画面に映っているのは杏ではなく、「新・平家物語」の栗原小巻です。念のため)
http://www.kuraya-narusawa.co.jp/2012_11_25/cat_kurayanarusawa_news_1683/
http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/bunka_bunkazai/manabi/bunkazai/hansyaro/
http://www.izunotabi.com/jpn/see/2009/03/-1-16.html
http://hansyaro.net/
反射炉は、金属を溶かして大砲を鋳造するための溶解炉で、1854年に着工、1858年に完成しています。
江川太郎左衛門英龍は、東京湾の台場建設にも主導権を発揮した開明的な人物として知られています。反射炉の入口脇に銅像もあります。
国内に現存する反射炉は、この伊豆韮山と長州・萩の2ヶ所ありますが、実際に見た感じでは、こちらの韮山の方がはるかに保存状態はいいです。ちなみに萩の反射炉は無人です。
この反射炉、世界遺産への推薦が決定したようです。登録されるかどうかはわかりませんが、行くなら今のうちかも知れません。
余談ですが、この反射炉の脇にある観光売店に、以前NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」のロケで笑福亭鶴瓶と女優の杏が腰掛けた椅子があります。(なお、写真のビデオ画面に映っているのは杏ではなく、「新・平家物語」の栗原小巻です。念のため)
http://www.kuraya-narusawa.co.jp/2012_11_25/cat_kurayanarusawa_news_1683/
http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/bunka_bunkazai/manabi/bunkazai/hansyaro/
http://www.izunotabi.com/jpn/see/2009/03/-1-16.html
http://hansyaro.net/
タグ:幕末
北条政子産湯の井戸 [伊豆長岡・韮山]
天野遠景の墓 [伊豆長岡・韮山]
伊豆長岡(伊豆の国市天野)に、源頼朝の家臣で鎌倉時代の武将・天野遠景の墓があります。東昌寺の少し南にあります。
細い道の入口に、このような案内板があります。
更に歩いていくと、突き当たりに墓があります。意外と質素です。
友人にこの天野氏の子孫がいて、一緒にこの墓へ行ったのですが、ちょうど墓に別の天野氏の子孫の人が来ていて、一同驚きました。何百年かさかのぼれば、どこかでつながるという間柄の方々でした。
細い道の入口に、このような案内板があります。
更に歩いていくと、突き当たりに墓があります。意外と質素です。
友人にこの天野氏の子孫がいて、一緒にこの墓へ行ったのですが、ちょうど墓に別の天野氏の子孫の人が来ていて、一同驚きました。何百年かさかのぼれば、どこかでつながるという間柄の方々でした。
タグ:墓
蛭ヶ小島・韮山反射炉・江川邸 [伊豆長岡・韮山]
いずれも伊豆の韮山(伊豆の国市)にある歴史観光の穴場です。
ここに関係のある人物は2人、源頼朝と江川太郎左衛門英龍です。時代は平安鎌倉時代と江戸時代で全くかけ離れていますが。
頼朝の関係はほんのわずかなのですが、挙兵するまで幽閉されていた蛭ヶ小島はこの韮山にあります。今は畑(田んぼ?)のど真ん中にわずかに石碑と古い農家の保存建造物があるだけですが。
江川太郎左衛門英龍(別名江川坦庵)はあまり知られていませんね。私も知ったのはここ10年のことですが、幕末の韮山代官です。伊豆は江戸時代幕府の直轄地で、代々世襲の代官のが治めていました。
東京のお台場はなぜお台場というのか?外国船の攻撃に備えて、東京湾に幕府が砲台を設置する台場を築いたことからきています。今でも第3台場と第6台場?は残っていますね。この台場の設計をしたのが、英龍です。
幕末は黒船以前から異国船が近海に出没するようになり、伊豆もその位置関係上、海防を強く意識せざるを得ない環境下だったこともあって、英龍も早くから砲術の研究などに取り掛かっていました。鉄を作るのに必要な反射炉の建設にもとりかかり、残念ながら完成前に英龍は亡くなっていますが、この反射炉は我々も見ることができます。
ちなみに日本国内に現存する反射炉は萩と韮山の2ヶ所のみだそうです。私は両方見に行きましたが、韮山の方が保存状態はいいです。萩の方はさびれていますが、無料で見れます。
韮山反射炉とちょっと離れていますが、江川家の屋敷も保存されていて、見ることができます。城ではないのであまり大きくないですが、なかなか立派で史料も色々残されています。
また英龍は日本で初めてパンを焼いたそうです。カノンパンという名前で地元で売られています。私も買って自分で食べてみました。ちょっと硬くて味もパンというよりはクラッカーに近いですが、ビールのつまみにはよく合います。
ここに関係のある人物は2人、源頼朝と江川太郎左衛門英龍です。時代は平安鎌倉時代と江戸時代で全くかけ離れていますが。
頼朝の関係はほんのわずかなのですが、挙兵するまで幽閉されていた蛭ヶ小島はこの韮山にあります。今は畑(田んぼ?)のど真ん中にわずかに石碑と古い農家の保存建造物があるだけですが。
江川太郎左衛門英龍(別名江川坦庵)はあまり知られていませんね。私も知ったのはここ10年のことですが、幕末の韮山代官です。伊豆は江戸時代幕府の直轄地で、代々世襲の代官のが治めていました。
東京のお台場はなぜお台場というのか?外国船の攻撃に備えて、東京湾に幕府が砲台を設置する台場を築いたことからきています。今でも第3台場と第6台場?は残っていますね。この台場の設計をしたのが、英龍です。
幕末は黒船以前から異国船が近海に出没するようになり、伊豆もその位置関係上、海防を強く意識せざるを得ない環境下だったこともあって、英龍も早くから砲術の研究などに取り掛かっていました。鉄を作るのに必要な反射炉の建設にもとりかかり、残念ながら完成前に英龍は亡くなっていますが、この反射炉は我々も見ることができます。
ちなみに日本国内に現存する反射炉は萩と韮山の2ヶ所のみだそうです。私は両方見に行きましたが、韮山の方が保存状態はいいです。萩の方はさびれていますが、無料で見れます。
韮山反射炉とちょっと離れていますが、江川家の屋敷も保存されていて、見ることができます。城ではないのであまり大きくないですが、なかなか立派で史料も色々残されています。
また英龍は日本で初めてパンを焼いたそうです。カノンパンという名前で地元で売られています。私も買って自分で食べてみました。ちょっと硬くて味もパンというよりはクラッカーに近いですが、ビールのつまみにはよく合います。