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中公新書「脱藩大名の戊辰戦争」 [歴史本]

「脱藩大名」という、聞いたことのない単語というか、そもそもあり得ない概念の言葉が目を引いて、読んでみた本です。著者は中村彰彦で、会津藩をはじめとして、敗者の幕末維新史に関する著作を数多く発表している人です。

この本の主人公は、上総国請西(じょうざい)藩1万石の元藩主林忠崇(ただたか)です。請西藩というのは、地図で見ると、現在の千葉県木更津市請西に陣屋跡があります。

大政奉還の年に数え20歳で藩主となり、戊辰戦争では家老以下大勢の藩士を引き連れ脱藩して新政府軍と戦い、仙台で降伏しています。

脱藩に際し旧幕府遊撃隊と合流し、房総半島の館山から伊豆半島の真鶴へ海を渡り、箱根で新政府軍と衝突しています。箱根でそんなことがあったとは全く知りませんでした。なお、この戦いには伊庭八郎も加わっています。伊庭八郎は戦闘で左手首を切られ、結局切断手術を受けるに至っています。

また、彼らは略奪や虐殺、代金の踏み倒し等の行為が一切なかったため、現地の住民たちによる密告などを受けることもなかったと書かれています。

さて林忠崇は降伏、謹慎の後、旧領地で農業に従事し、転じて東京府に出仕したものの程なく辞職し、その後は豪商の番頭となり、更には大阪府に出仕したりと、職を転々としています。太平の世であれば間違いなく大名として一生を終えたはずの人です。

他の旧大名は明治の世では子爵以上の身分が与えられていましたが、この請西藩の場合は藩主が脱藩した上に新政府軍に敵対し、戊辰戦争終結を待たずに領地を没収されていたこともあり、単なる士族としてしか扱われませんでした。

生活はかなり苦しく、旧家臣たちが家格再興に遁走し、紆余曲折の後明治26年になりようやく華族に列せられ、昭和16年に94歳で没しています。最後の殿様としては、昭和12年・96歳まで生きた旧広島藩主・浅野長勲が一般的には知られていますが、それよりも後に亡くなっています。ですので、この林忠崇こそが、おそらく旧大名としては最後の生き残りだったと思われます。

人物は文武に通じ大名としての一通りの教養は身につけていた人だったようで、自ら戦記を残し、また絵も描いたりしています。絵といっても芸術の範疇に入るような絵ではなく、挿絵のような感じですが、謹慎中や農作業をしている自分の姿をコメント入りで残したりもしています。

晩年には底の浅からぬ人柄を感じさせる狂歌を三首作っていますので、最後に紹介します。

冥土からもしも迎ひが来たならば八十八を過してののち
冥土からまたもむかひが来たならば九十九迄は留守とこたへよ
留守といわばまたも迎ひが来るべしいつそいやだと言切るがよし


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