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石ノ森章太郎の故郷・登米市中田町石森 3.石ノ森章太郎生家 [宿泊旅行]
「石ノ森章太郎ふるさと記念館」からまっすぐ歩いて1~2分のところに、石ノ森章太郎の生家があります。



誰でも入れます。しかも無料。





今では滅多に見かけなくなった、ブラウン管のテレビもあります。

2階に上がると、石ノ森章太郎の勉強机があります。


曜日や時間帯によっては、地元のボランティアの人が色々説明をしてくれるようです。
http://www.city.tome.miyagi.jp/map/map-shougai/sho_018.html
誰でも入れます。しかも無料。
今では滅多に見かけなくなった、ブラウン管のテレビもあります。
2階に上がると、石ノ森章太郎の勉強机があります。
曜日や時間帯によっては、地元のボランティアの人が色々説明をしてくれるようです。
http://www.city.tome.miyagi.jp/map/map-shougai/sho_018.html
石ノ森章太郎の故郷・登米市中田町石森 2.石ノ森章太郎ふるさと記念館 [宿泊旅行]
石ノ森章太郎の出身地、この石森地区に、立派な記念館があります。2000年にオープンしました。

入口は和風ですが、中へ入ると、コンクリートの平屋建ての建物が現れ、雰囲気が一変します。


こちらが建物の入口になります。

この建物、シンプルな造りですがとても洗練された印象があります。誰が設計したのか知りたくもなります。
中の展示も、もちろん負けず劣らず素晴らしいです。石ノ森章太郎ファンにはきっとたまらない場所だと思います。聖地かも知れません。
常設展示室には、トキワ荘時代の石ノ森章太郎の部屋が再現されていたり、石ノ森作品が手にとって読めるようになっていたりします。若い頃の原画も展示されています。足元の床がガラス張りになっているところもあり、その下にまで展示物があります。
ひときわ目を引いたのが、著名な漫画家45名が扇子に書きこんだ、石ノ森章太郎の漫画家生活45周年へのお祝いメッセージ45枚の展示ですね。当然それぞれの漫画家のイラスト入りですが、漫画家たちの個性が楽しめます。
駐車場は正面入口前だけでなく、建物裏手にもあります。

建物の前の庭です。

石ノ森章太郎の作品が描かれています。左から見るとこんな感じ。

右からはこんな感じ。これは人造人間キカイダーですね。

真ん中から見ると、こういうからくりです。

他にも色々。





この付近、何十年か前には鉄道が走っていたようですが、現在は廃止されてありません。公共交通機関を利用するなら、JR東北線石越駅から市民バスに乗り換えるという方法があるようです。
http://www.city.tome.miyagi.jp/kinenkan/
入口は和風ですが、中へ入ると、コンクリートの平屋建ての建物が現れ、雰囲気が一変します。
こちらが建物の入口になります。
この建物、シンプルな造りですがとても洗練された印象があります。誰が設計したのか知りたくもなります。
中の展示も、もちろん負けず劣らず素晴らしいです。石ノ森章太郎ファンにはきっとたまらない場所だと思います。聖地かも知れません。
常設展示室には、トキワ荘時代の石ノ森章太郎の部屋が再現されていたり、石ノ森作品が手にとって読めるようになっていたりします。若い頃の原画も展示されています。足元の床がガラス張りになっているところもあり、その下にまで展示物があります。
ひときわ目を引いたのが、著名な漫画家45名が扇子に書きこんだ、石ノ森章太郎の漫画家生活45周年へのお祝いメッセージ45枚の展示ですね。当然それぞれの漫画家のイラスト入りですが、漫画家たちの個性が楽しめます。
駐車場は正面入口前だけでなく、建物裏手にもあります。
建物の前の庭です。
石ノ森章太郎の作品が描かれています。左から見るとこんな感じ。
右からはこんな感じ。これは人造人間キカイダーですね。
真ん中から見ると、こういうからくりです。
他にも色々。
この付近、何十年か前には鉄道が走っていたようですが、現在は廃止されてありません。公共交通機関を利用するなら、JR東北線石越駅から市民バスに乗り換えるという方法があるようです。
http://www.city.tome.miyagi.jp/kinenkan/
タグ:石ノ森章太郎
石ノ森章太郎の故郷・登米市中田町石森 1.石森地区をふらふらと [宿泊旅行]
少々前のことになりますが、漫画家・故石ノ森章太郎の故郷、宮城県北部の登米市中田町石森に行きました。3回に分けて書きます。
ご存知の方は多いと思いますが、石ノ森章太郎は改名して石ノ森になる前は、石森章太郎として世に知られていました。その芸名の「石森」は、この出身地にちなんでいます。
そしてこの石森地区には、石ノ森章太郎の生家や「石ノ森章太郎ふるさと記念館」があるのですが、時間があったので、この近辺を少し歩いてみました。
現地には案内図もあります。

アニメのキャラクターにも色々遭遇します。


古い民家もあります。



年老いた猫にも遭遇しました。かなりの高齢猫なのか、あまりのやせ方に、ちょっと心配になりました。



更に進みます。


神社が出てきました。石ノ森章太郎が子供の頃遊んでいた神社です。





立派な蔵です。

幹線道路の脇には、こんなものも。

少し奥に入ると、農家でしょうか。玉ねぎが。

集落を抜けると、一面に田んぼが広がっていました。心まで広くなるような眺めです。
ご存知の方は多いと思いますが、石ノ森章太郎は改名して石ノ森になる前は、石森章太郎として世に知られていました。その芸名の「石森」は、この出身地にちなんでいます。
そしてこの石森地区には、石ノ森章太郎の生家や「石ノ森章太郎ふるさと記念館」があるのですが、時間があったので、この近辺を少し歩いてみました。
現地には案内図もあります。
アニメのキャラクターにも色々遭遇します。
古い民家もあります。
年老いた猫にも遭遇しました。かなりの高齢猫なのか、あまりのやせ方に、ちょっと心配になりました。
更に進みます。
神社が出てきました。石ノ森章太郎が子供の頃遊んでいた神社です。
立派な蔵です。
幹線道路の脇には、こんなものも。
少し奥に入ると、農家でしょうか。玉ねぎが。
集落を抜けると、一面に田んぼが広がっていました。心まで広くなるような眺めです。
タグ:石ノ森章太郎
萩の旅 3 [宿泊旅行]
萩の街は日本海へ向かって北に流れる川の三角州上に発達した街です。その三角州の西の外れに標高143mの指月(しづき)山があって、そのふもとに萩城があります。幕末に既に藩の中心から外れ、また高度成長の工業化の波もまともに受けなかったこともあって、比較的古い町並みが残っています。特に街の西半分、城の周辺は派手な商業施設やコンビニもなく景観が保たれています。ちなみに松下村塾があるのは、三角州から外れた街の東側です。

萩は歴史上の人物の生誕地や旧宅が街じゅう至るところにあります。吉田松陰、高杉晋作をはじめ、木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、久坂玄瑞、田中義一、山田顕義、品川弥二郎、井上勝、前原一誠、長井雅楽、青木周弼、井上剣花坊、地図で簡単に拾っただけでもこんなにあります。私も歴史は興味ある方ですが、知らない名前もかなりありました。
こちらは藩校明倫館のあったところです。現在は明倫小学校があって、木造の校舎です。明治以降の建物と思いますが、歴史を感じさせます。私もこういう学校に通ってみたかった。

他にも印象に残っているのは色々ありますが、穴場を挙げるならば藍場川沿いでしょうか。ちょうど街の南東の外れに位置します。市内の巡回バスのルートから外れているので、自転車でないとなかなか行きづらいところです。街の中に人工的に引いた水路なのですが、鯉が泳いでいて、古い家は川から水を引いて庭に池を作ったりしています。風情があります。


萩は歴史上の人物の生誕地や旧宅が街じゅう至るところにあります。吉田松陰、高杉晋作をはじめ、木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、久坂玄瑞、田中義一、山田顕義、品川弥二郎、井上勝、前原一誠、長井雅楽、青木周弼、井上剣花坊、地図で簡単に拾っただけでもこんなにあります。私も歴史は興味ある方ですが、知らない名前もかなりありました。
こちらは藩校明倫館のあったところです。現在は明倫小学校があって、木造の校舎です。明治以降の建物と思いますが、歴史を感じさせます。私もこういう学校に通ってみたかった。

他にも印象に残っているのは色々ありますが、穴場を挙げるならば藍場川沿いでしょうか。ちょうど街の南東の外れに位置します。市内の巡回バスのルートから外れているので、自転車でないとなかなか行きづらいところです。街の中に人工的に引いた水路なのですが、鯉が泳いでいて、古い家は川から水を引いて庭に池を作ったりしています。風情があります。

萩の旅 2 [宿泊旅行]
萩は毛利輝元が関ヶ原で負けて減封され、本拠を広島から移して以来、長州藩の藩庁が置かれていたところです。幕末の1863年に藩庁が山口に移され、明治以降も県の中心とならなかったこともあって、江戸時代の町並みがかなり残されています。江戸時代の古地図と見比べても、あまり大きくは変わっていないようで、他の城下町と比較しても貴重な町ではないかと思います。
特に萩城周辺は武家屋敷の町並みがかなり残っています。一軒一軒石垣が1m弱あって、その上に塀が作られています。塀の中は持ち主が変わったり、学校やみかん畑になったりしていますが、石垣だけでも昔の雰囲気が味わえます。

レンタサイクルを使ったら、一日で市内をかなり回れました。史跡がかなり多いせいかも知れませんが、無料で入れるところが多いですね。木戸孝允の旧宅もそうでした。こんな感じです。

街外れに大砲の鋳造などに用いた反射炉があるのですが、ここも行きました。自転車でないと行きづらい場所です。国内に現存する反射炉はここと伊豆の韮山で、両方制覇することができました。保存状態は伊豆の方がよいです。

以前鹿児島へ行ったときは、西郷隆盛一色という印象を受けましたが、ここ萩では吉田松陰と高杉晋作の2人が別格扱いされていたような感じでした。私としては、木戸孝允があまり扱われていないのが少々意外でしたが。幕末維新に輩出した人材が多すぎるせいかも知れません。
特に萩城周辺は武家屋敷の町並みがかなり残っています。一軒一軒石垣が1m弱あって、その上に塀が作られています。塀の中は持ち主が変わったり、学校やみかん畑になったりしていますが、石垣だけでも昔の雰囲気が味わえます。

レンタサイクルを使ったら、一日で市内をかなり回れました。史跡がかなり多いせいかも知れませんが、無料で入れるところが多いですね。木戸孝允の旧宅もそうでした。こんな感じです。

街外れに大砲の鋳造などに用いた反射炉があるのですが、ここも行きました。自転車でないと行きづらい場所です。国内に現存する反射炉はここと伊豆の韮山で、両方制覇することができました。保存状態は伊豆の方がよいです。

以前鹿児島へ行ったときは、西郷隆盛一色という印象を受けましたが、ここ萩では吉田松陰と高杉晋作の2人が別格扱いされていたような感じでした。私としては、木戸孝允があまり扱われていないのが少々意外でしたが。幕末維新に輩出した人材が多すぎるせいかも知れません。
萩の旅 1 [宿泊旅行]
数年前、休みを利用して山口県の萩へ行きました。幕末の歴史にまつわる街を今までもたくさん回ってきましたが、その中でも萩は印象に残る街の一つです。
新幹線はのぞみのたった3両の自由席に座れるかどうか心配でしたが、運よく往復とも座れました。新幹線も随分速くなりました。小郡は市町村合併で山口市になり、駅名が新山口に変わっていました。
萩へ行くには新山口駅でバスに乗り換えるのですが、多少時間があったので、駅の北口と南口(新幹線口)の両方に行きました。北口の女性の駅員さんに、北口と南口のどちらの街がひらけているのかきいたら、「どっちもひらけていない」という答えが困った表情と一緒に返ってきました。こういう素朴さはいいですね。目的地の萩は新山口から1時間ちょっとで着きました。
最初は萩城跡周辺を回りました。旧厚狭毛利家萩屋敷長屋と萩城の共通券を買う時、受付のおっちゃんに「ここは6時半までですよね」と聞いたら、「入って朝までいてもいいよ」という答えが返って来て、お互い爆笑しました。確かに朝までいてもわからなそうなところなのですが・・・。こういう予想外の展開のある旅が私は好きです。
写真は旧厚狭毛利家萩屋敷長屋です。

こちらは萩城跡です。天守閣跡の石垣の上にも行けます。

長州征伐は幕末の出来事ですが、萩では(まあそれもそうかとも思いますが)長州征伐とはいわず「四境戦争」といっていました。会津が官軍を西軍というのにちょっと似ているなと思いました。
新幹線はのぞみのたった3両の自由席に座れるかどうか心配でしたが、運よく往復とも座れました。新幹線も随分速くなりました。小郡は市町村合併で山口市になり、駅名が新山口に変わっていました。
萩へ行くには新山口駅でバスに乗り換えるのですが、多少時間があったので、駅の北口と南口(新幹線口)の両方に行きました。北口の女性の駅員さんに、北口と南口のどちらの街がひらけているのかきいたら、「どっちもひらけていない」という答えが困った表情と一緒に返ってきました。こういう素朴さはいいですね。目的地の萩は新山口から1時間ちょっとで着きました。
最初は萩城跡周辺を回りました。旧厚狭毛利家萩屋敷長屋と萩城の共通券を買う時、受付のおっちゃんに「ここは6時半までですよね」と聞いたら、「入って朝までいてもいいよ」という答えが返って来て、お互い爆笑しました。確かに朝までいてもわからなそうなところなのですが・・・。こういう予想外の展開のある旅が私は好きです。
写真は旧厚狭毛利家萩屋敷長屋です。

こちらは萩城跡です。天守閣跡の石垣の上にも行けます。

長州征伐は幕末の出来事ですが、萩では(まあそれもそうかとも思いますが)長州征伐とはいわず「四境戦争」といっていました。会津が官軍を西軍というのにちょっと似ているなと思いました。
慶州の旅館 [宿泊旅行]
もう10年以上も前の話ですが、韓国を旅行したことがありました。ソウル、釜山、慶州を回ったのですが、慶州で泊まった旅館が非常に印象に残っています。
バスターミナルからちょっと歩いたところだったと思いますが、「地球の歩き方」で見つけた韓進(ハンジン)旅館というところに泊まりました。そこのご主人が戦前の教育を受けた世代で、日本語を話せる人でした。
宿泊客の大半が日本人だったと思いますが、夜になると客を皆呼んで、植民地時代(いわゆる日帝統治の時代)の話や朝鮮戦争(韓国では南北戦争と言うようです)の話などしてくれました。今もご健在なら80歳前後のはずです。
植民地時代は日本に反対する人たちは皆亡命してしまって、周囲には殆どいなかったそうです。ですのでそのご主人も当時の日本の教育に何の疑問も持たなかったようです。お兄さんも日本軍に徴兵されて、日本のために戦うと言って戦死したそうです。
1945年8月15日の日本の無条件降伏により、日本人が朝鮮半島から皆引き揚げてから、自分達がだまされていたことに気付き、それから韓国内で反日感情が高まっていったと話していました。
南北戦争の時は、がたいのいい男は兵隊にすぐとられてしまうということで、外から家へ帰る時も畑の中を農作物の陰に隠れて見つからないようにして帰ったと言っていました。
この話を聞いた時はまだ南北首脳会談も全く想像できない時代でしたが、北に対しては敵対心というよりはあわれみを感じると話していたのが印象的でした。そのご主人は北には親類はいないと言っていましたが、北が自由のない厳しい暮らしをしているというのは当時から知られていたようです。
戦後は米軍が駐留し、韓国もアメリカの影響下に置かれるわけですが、日本に統治されていた時代と比較して色々難しい面もあったと言っていました。日本人のことを信頼することは難しい反面、アメリカはアメリカで文化が違い過ぎると言っていました。働かない国はだめになるとも言っていました。
もう一つ変わった話では、韓国人には二通りの顔があると言っていました。新羅顔と百済顔だそうです。簡単に言うと、新羅顔は面長で百済顔は丸顔で骨格がしっかりしている感じです。そのご主人は新羅顔でしたが。百済顔は光州の方に多いようです。百済顔の人は不平不満が多いし信用できないと言っていました。これが韓国の地域対立かと、ちょっと興味深く聞いてしまいました。
たまたま出会った人の話ではありますが、ごく普通の韓国の老人の話を、思いがけず直接聞くことができて、運がよかったと思います。私にとっては、どの話も日本にいては耳にすることのなかったであろう話ばかりで、新鮮でした。この旅行は私にとって初めての海外一人旅でしたが、個人旅行ならではの旅を体験することができました。
バスターミナルからちょっと歩いたところだったと思いますが、「地球の歩き方」で見つけた韓進(ハンジン)旅館というところに泊まりました。そこのご主人が戦前の教育を受けた世代で、日本語を話せる人でした。
宿泊客の大半が日本人だったと思いますが、夜になると客を皆呼んで、植民地時代(いわゆる日帝統治の時代)の話や朝鮮戦争(韓国では南北戦争と言うようです)の話などしてくれました。今もご健在なら80歳前後のはずです。
植民地時代は日本に反対する人たちは皆亡命してしまって、周囲には殆どいなかったそうです。ですのでそのご主人も当時の日本の教育に何の疑問も持たなかったようです。お兄さんも日本軍に徴兵されて、日本のために戦うと言って戦死したそうです。
1945年8月15日の日本の無条件降伏により、日本人が朝鮮半島から皆引き揚げてから、自分達がだまされていたことに気付き、それから韓国内で反日感情が高まっていったと話していました。
南北戦争の時は、がたいのいい男は兵隊にすぐとられてしまうということで、外から家へ帰る時も畑の中を農作物の陰に隠れて見つからないようにして帰ったと言っていました。
この話を聞いた時はまだ南北首脳会談も全く想像できない時代でしたが、北に対しては敵対心というよりはあわれみを感じると話していたのが印象的でした。そのご主人は北には親類はいないと言っていましたが、北が自由のない厳しい暮らしをしているというのは当時から知られていたようです。
戦後は米軍が駐留し、韓国もアメリカの影響下に置かれるわけですが、日本に統治されていた時代と比較して色々難しい面もあったと言っていました。日本人のことを信頼することは難しい反面、アメリカはアメリカで文化が違い過ぎると言っていました。働かない国はだめになるとも言っていました。
もう一つ変わった話では、韓国人には二通りの顔があると言っていました。新羅顔と百済顔だそうです。簡単に言うと、新羅顔は面長で百済顔は丸顔で骨格がしっかりしている感じです。そのご主人は新羅顔でしたが。百済顔は光州の方に多いようです。百済顔の人は不平不満が多いし信用できないと言っていました。これが韓国の地域対立かと、ちょっと興味深く聞いてしまいました。
たまたま出会った人の話ではありますが、ごく普通の韓国の老人の話を、思いがけず直接聞くことができて、運がよかったと思います。私にとっては、どの話も日本にいては耳にすることのなかったであろう話ばかりで、新鮮でした。この旅行は私にとって初めての海外一人旅でしたが、個人旅行ならではの旅を体験することができました。