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横綱の手形 [相撲]

東京の両国駅西口前を南北に通る広い道路の歩道に、横綱の手形が数mおきに並んでいます。相撲の街・両国の雰囲気が漂います。

こちらは貴乃花と曙です。
横綱の手形 貴乃花 横綱の手形 曙

千代の富士です。
横綱の手形 千代の富士

69連勝の角聖・双葉山もあります。
横綱の手形 双葉山

栃錦と初代若乃花です。
横綱の手形 栃錦 横綱の手形 初代若乃花

北の湖です。
横綱の手形 北の湖

北の湖は指が短く、上手を取ってもすぐに切られやすいと現役当時いわれていましたが、確かに私の手と比べても、そう大差ない感じでした。他の横綱は私より関節1つ分くらい手が大きかったです。

手形はほぼ歴代の順に並んでいる感じでしたが、第54代の輪島のところだけ、コンクリートか何かで埋められていて、手形がありませんでした。不祥事で協会を退職したことが影響しているのか?そういえば双羽黒もなかったかも知れません。

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旧両国国技館跡 [相撲]

東京のJR両国駅から3~4分のところにあります。回向院のすぐ隣の両国シティコアビルの建っている位置に、かつての両国国技館はありました。

戦前はここで大相撲の本場所が開催され、戦時中は空襲で屋根が焼けてしまい、戦後は米軍に接収され、その後は日大の講堂となり、1983年まで建物が存在していました。

回向院の門の脇に、小さいですが案内板があります。

旧両国国技館跡 1

そこから奥へ入っていき、マンションの入口の手前のような雰囲気の空間に、かつての土俵がありました。円形で表現されています。

旧両国国技館跡 2

ただ、この円ですが、実際の土俵に比べると、大き過ぎるように思います。土俵の直径は4.55mですので、本当はもう少し小さいのではないかなという気がします。自転車1台の長さは1m以上あるだろうと思いますが、見た感じ、自転車5台分くらいの幅はありそうですね。

厳密に土俵のあった場所を再現するのはかなり難しいのかなとも思いますので、まあこれで十分と考えた方がいいでしょう。正確でなくても、ちゃんと土俵のあった場所の痕跡を残してもらえただけでも、一相撲ファンとしては有難く思います。
タグ:両国 大相撲
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「大相撲 ガチンコ場所を 見てみたい」 [相撲]

誠にお粗末な川柳でございます。冒頭から失礼いたしました・・・。

さて2月の週刊文春で「八百長なし『ガチンコ場所』が一場所だけあった」という記事がありました。

これは72年初場所のことを指しているのですが、前年の上位陣の相撲で八百長の疑いが世間から高まり、相撲協会は内部に「相撲競技監察委員会」を発足させました。そしてこの場所は序盤戦から上位陣同士の対戦をバンバン組み、後半戦は好成績力士同士を対戦させるという方針のもと、初日にいきなり横綱大関戦が組まれたりもしました。

予定調和が働きにくい状況のもと、前の場所まで2連覇中だった横綱北の富士は14日目から途中休場(7勝7敗1休)、優勝は前頭5枚目の初代栃東でしかも11勝4敗という、誰も想像できないような結果がもたらされました。まさに戦国場所・・・。

ところが、上位陣同士を前半戦からどんどん当ててしまったため、千秋楽結びの一番が大関対平幕になってしまうなど、終盤戦にあまりパッとしない取組が増えてしまい、以後ここまでドラスティックなことはあまり行われなくなったようです。

さて最近の大相撲ですが、昨年発覚した野球賭博事件の捜査の過程で、警察が押収した力士の携帯電話の解析結果から、八百長相撲を示唆する内容のメールが46通も発見されるという、前代未聞の事態が今年2月に発覚しました。「立ち合いは強く当たって、後は流れでお願いします」などというあからさまなメールまで出てきました。

これは大相撲史上最大と言ってもよい大問題に発展し、その結果、25人の力士・親方が八百長に関与したと認定され、事実上の追放処分を受けるに至りました。

この事件により3月場所は中止となり、また5月場所は技能審査場所として無料公開されることになりました。NHKは今回、本場所開催ではないということで、5月場所の生中継やダイジェストの放送は見合わせることになりました。

いずれにせよ、今後世間は当然厳しい目で相撲を見ることになると思います。5月場所も、どのタイミングでどういう対戦が組まれるかはわかりませんが、怪しい相撲が取りにくくなるのは必至と思われます。

世間には、もう相撲なんかやめてしまえ、という声もあるかと思いますが、私は自分が幼稚園の時以来大相撲を見続けている者として、純粋な興味を持って、この来たるべきガチンコ場所に注目しています。72年初場所をリアルタイムで知らない人間として、その再来をしっかりこの目に焼き付けてみたいとも思っています。
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すもう占い [相撲]

珍しい占いを見つけました。私はあまり占いを信じたりはしない方ですが、面白そうだったので、ちょっとやってみました。

結果は私の場合、半分当たっていて半分は外れている、という感じでしょうか。ちなみに決まり手は「吊り出し」でした。技に関する解説は合ってますね。ちゃんと相撲を調べて作ってあるようでした。

http://www.so-net.ne.jp/uranai/enta.cgi?id=sumo&SmRcid=mlc_ml_23331198409
タグ:占い 相撲
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元大関千代大海 [相撲]

今年の大相撲初場所で引退した力士です。昨日引退相撲と断髪式も行われました。

優勝は3回を数え、大関で3回も優勝できたというのは、間違いなく名大関に数えてよいと思います。また大関在位65場所は、従来の貴ノ花(貴乃花親方の父)の50場所の記録を塗り替え、現在単独1位です。

ワードで「千代大海」は漢字に一発で変換できますので、パソコン上でも名大関だったことが証明されているようなものです。

ただ、ここ数年は誰の目にも力の衰えは明らかで、痛々しい相撲の連続でした。怪我を重ねた上に糖尿病まで抱え、体重も落ちてしまいました。カド番(その場所もし負け越すと大関陥落)も14回とワースト1位で、また大関が15日間皆勤した場所としては2勝13敗のワースト記録も作ってしまいました。

カド番記録についてだけは、あえて千代大海を擁護するならば、千代大海の現役中にカド番のルールが一部変わり、力士にとって厳しくなったことを無視してはいけないと思います。ルールの改正前と後を一緒にしてカド番の回数を比較するのは、ちょっと酷ではないかと思います。

大関は2場所連続で負け越すと、関脇に陥落します。ただし1983年から2003年までは、場所中に怪我をして途中休場した場合(=この場所は勝ち越していない限り負け越し扱い)、次の場所を仮に全休(=負け越し扱い)しても2場所連続負け越しにはカウントせず、その次の場所で勝ち越せば番付は下がらない、とされていました(公傷制度の適用)。この制度で、小錦や武双山などは随分救われていたはずです。

更に補足するならば、1958年から1969年までは、大関は2場所ではなく3場所連続の負け越しで陥落でした。

話は変わって、押し相撲の力士は基本的に、押すか、引くか、いなすか、しかありませんので、年をとってパワーが落ちてくると、どうしても衰えを隠せなくなります。元々が押し相撲の力士であっても、ある程度は四つ相撲も取れないと、横綱となって安定した成績を続けるのは難しい、というのが私の考えです。

曙も強烈な突き押しが武器でしたが、四つ相撲でも勝つ力があったので、8年間も横綱の地位を守れたのだろうと思います。また、千代大海と似たような体格だった北勝海は、四つ相撲でも下位の力士にならそこそこ勝つ力がありました。

しかしそれでも千代大海なりに自分の押し相撲を最初から最後まで貫いたというのは、それも一つの哲学ではなかったかと思います。

千代大海の全盛期は、回転の速い突っ張りと共に、とにかく立ち合いの当たりの強さが素晴らしかったです。若貴の兄若乃花が、力士は毎日交通事故に遭っているようなものだと、テレビで語っていたことがありましたが、千代大海のぶちかましをまともに受けたら、下手をしたら力士でも本当に頸椎捻挫しかねないと思わせるほどの破壊力でした。私の見た感じでは、全盛期の千代大海に当たり負けしない力士は、曙、武蔵丸、武双山、土佐ノ海の4人だけではなかったかと思います。

千代大海の絶頂期と言ってよいかどうか微妙ですが、一つだけ現役時代の相撲をピックアップします。朝青龍が新横綱だった場所で、千代大海がその朝青龍を破って3回目の優勝を決めた一番です。千代大海の立ち合いの当たりで朝青龍の上体が起きてしまっています。この千代大海の前傾姿勢を保った小刻みな突っ張りは、まさに芸術ものでした。朝青龍はまわしに全く手が届かず、結局そのまま押し出されてしまいました。

http://www.youtube.com/watch?v=QdIqSX1jf0Y
タグ:大関 大相撲
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元大関貴ノ花 [相撲]

貴乃花親方の父親で、往年の名大関です。引退後は藤島部屋を創設し、旧二子山部屋と合併してからは二子山親方となりました。残念ながら数年前がんで亡くなり、今日は命日です。

公の場に最後に姿を見せたのは、弟子の元大関貴ノ浪(現音羽山親方)の断髪式の時でした。入院中の病院から国技館に駆けつけましたが、土俵に自力では上がれず、土俵下にいた呼出しの手を借りてようやく土俵の上に立つことができるような有様でした。顔も大きくむくみ、痛々しい限りでした。

中学時代は将来の水泳のオリンピック代表候補とも期待されていましたが、水泳で飯は食えないと、実兄の元横綱若乃花の二子山部屋へ入門します。そして当時の最年少昇進記録を次々と作っていきました。横綱大鵬とも何度か対戦し、大鵬は71年夏場所、貴ノ花に敗れて引退を決意しました。

また、72年初場所の横綱北の富士戦は、貴ノ花の足腰の強さを強烈に印象付ける相撲となりました。貴ノ花の驚異の粘り腰に、北の富士が思わず先に手をついてしまい、これが「かばい手」か「つき手」かで物言いとなりました。勝負審判と行司の協議の結果、北の富士が手をつく前に既に貴ノ花は「死に体」だったとして「かばい手」と判断され、北の富士の勝ちとなりました。貴ノ花の死去直後のインタビューで、北の富士(現解説者)は、「あれは本当はつき手だった」と語っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=vpJvTs2bw3U

72年秋場所では、輪島と歴史に残る大熱戦を繰り広げ、敗れたものの、場所後に輪島と大関同時昇進を果たします。貴ノ花本人は引退直後のテレビ番組で、大関に上がった時点で既に体はボロボロだったと語っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=BPrNpwMZQnI

そんな貴ノ花も75年春場所で初優勝を飾り、この時の横綱北の湖との優勝決定戦は、視聴率が50%にも達したといわれています。
http://www.youtube.com/watch?v=HSIAdCg5VHo

この年は秋場所にも優勝決定戦で再び北の湖を破り、2回目の優勝を果たしましたが、翌場所は成績を残せず横綱昇進を逃しました。
http://www.youtube.com/watch?v=6EUcLJ74xZY

77年の初場所と春場所で連続準優勝の成績を上げるも横綱には届かず、78年以降は9勝6敗か8勝7敗の場所が多くなりました。79年名古屋場所の栃赤城戦では、土俵際の投げの打ち合いで貴ノ花が先に落ち、足腰の衰えを示す象徴的なシーンともなりました。
http://www.youtube.com/watch?v=aQPOeqCSyBY

80年初場所には千秋楽の北の湖戦で敗れ7勝8敗となり、大関になって15日間皆勤で初の負け越しを喫しました。それでもその年の秋場所には、高見山と大熱戦を繰り広げ、貴ノ花のまげがわずかに先に土俵につき、高見山の勝ちとなりました。
http://www.youtube.com/watch?v=Lt8XUCo2-UE

それから10年以上たって、テレビ朝日の大相撲ダイジェストでこの取組が紹介され、実はこの取組で怪我を負ったということを、貴ノ花本人がこの番組中に初めて明かしていました。確か足の靭帯を切ったようなことを言っていた記憶があります。それを隠して翌日も土俵に上がっていたというのは、驚くばかりです。

81年の初場所途中で引退を発表しましたが、大関在位は50場所を数え、これは千代大海に破られるまでダントツの大関在位記録でした。
タグ:大関 大相撲
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大関互助会とは? [相撲]

最近は相撲通でなくても聞いたことのある単語かも知れません。事の真偽は定かではありませんが、成績の低迷する大関が目立つようになると、しばしばささやかれる言葉です。

栃若時代以前の大関については私もよく知らないのですが、現代の大相撲においての大関互助会のはしりといわれたのは、無気力相撲を疑われた前の山と琴桜あたりになるのでしょうか。大麒麟はどうなのか、ちょっとわかりませんが。

その後となると、世間でささやかれたのは朝潮、北天佑、若嶋津あたりでしょうか。3人の中で、若嶋津は割と早く引退してしまいましたが、朝潮と北天佑は、どちらかが7勝7敗で千秋楽に対戦することが多かった印象があり、余計に注目を集めたかも知れません。

この両者の対戦で、片方が7勝8敗になったことは恐らくないのではと思います。あうんの呼吸なのか、空気を読んだ結果なのか、たまたまそうなったのか、よくわかりません。北天佑は朝潮引退後、それでもまだ余力を感じさせる形での引退でしたが、朝潮は本当に晩年はヨレヨレの相撲でした。

ちなみに朝潮は現在の高砂親方、朝青龍の師匠です。北天佑は大麻事件で解雇された白露山の元師匠ですが、事件勃発前に病気で亡くなってしまいました。

某SNSにも「大関互助会」というコミュニティがありました。コミュニティの紹介文に、「千秋楽7勝7敗では,世界最強無敵を誇る朝潮太郎」と書いてあり、思わず笑ってしまいました。こういうユーモアたっぷりなのはいいですね。

朝潮は決して勝負強いタイプではなく、大関昇進にも何度も失敗しているし、優勝決定戦でもよく負けていて、結局優勝は1回にとどまりました。ただし横綱北の湖にはめっぽう強く、対戦成績でも不戦勝による1勝を含む、13勝7敗と大きくリードしています。

北の湖は優勝した場所でも朝潮に全勝を阻止されたり、痛いところで星を落としたりしています。朝潮は引退の時に、北の湖に対戦成績で大きく勝ち越したことは誇りに思う、と語っていました。
タグ:大関 大相撲
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八百長相撲に関する玉木正之氏の見解 [相撲]

ガッツポーズ論争などにまぎれて一服感のある八百長騒動。一連の八百長裁判でも、一審は講談社側の敗訴でした。その前の、大麻騒動の時の若ノ鵬による八百長暴露も、中途半端な形で終わりました。

ところで昨年の「新潮45」12月号で、スポーツライターの玉木正之氏が独自の八百長論を展開していました。タイトルも「大相撲、八百長でなぜ悪い」と実にストレートで、大新聞が絶対に書けないような内容でした。

冒頭に、『相撲は神事であり興行である。力士の「阿吽の呼吸」を「八百長」と非難するのは、野暮と無粋の極みである。』とありました。

記事では更に、週刊現代に書かれていたことを、おおよそ事実であると思っている、とした上で、相撲はスポーツであると同時に、神事や興行としても存在していると論じ、そこに存在する「情」や「阿吽の呼吸」「気」といったものは相撲の一種の美徳である、と展開されています。

新潮社というと、週刊新潮での編集部ノーチェックの丸投げ記事で次々と訴訟を起こされ、敗訴を連発しているのは記憶に新しいですが、その新潮社がスポーツライターの発言とはいえ「週刊現代の記事はおおよそ事実と思う」と載せているのは、少々興味を引くところではありました。

話は本筋に戻りますが、私もこれまで大相撲の八百長疑惑に関する記事を色々と読むうち、八百長というのはもしかすると日本の文化の一部ではないか、スポーツ以外の世界でも色々と形を変えて日本の中に存在するのではないか、という気がしていました。談合やシャンシャン総会、やらせ番組、予定調和なども、この類ではないでしょうか。

この記事の主張内容にも何となくそれと似た空気を感じました。私の場合は単なる直感で、この玉木氏の文章はきちんと整理し論理付けられていますから、全然レベルが違いますが。

一方で、大相撲でそういった行為が激増しシステム化され、相場の金額まで形成される状況は、さすがに目に余るというような趣旨のことも書かれていました。確かにそこまで来ると、これは文化の伝承という範囲を逸脱しているだろうと思います。

全体的になかなか難解でしたが、相撲を日本文化から考えた内容で、非常に奥が深い記事でした。

余談ですが、この記事の中で、「出来山」という言葉が紹介されていました。対戦する力士同士が勝敗の行方をあらかじめ決めている一番を「出来山」というそうです。「出来レース」という言葉はこの出来山から来ているようです。初めて知りました。

今まで私は、「出来山」というのはただ単に大相撲の年寄名跡の一つだと思っていました。現在の出来山親方は元関脇出羽ノ花ですが、現役時代はガチンコ力士だったといわれており、その力士の取得した年寄株が「出来山」というのは、何とも皮肉な話です。
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元大関貴ノ浪 [相撲]

相撲の技の常識を超越した超個性派でありながら、実力も並外れた力士として、この貴ノ浪は非常に印象に残っています。若貴全盛の90年代から2000年代初頭にかけて活躍し、優勝も2回を数え、名大関といってもよいでしょう。

とにかく相撲の基本を覆すような取り口で、まさかと思うような相撲でよく勝っていました。解説の舞の海も「規格外」と表現していました。現役の把瑠都などをはるかにしのぐスケールの大きさでした。

相手が両差しで貴ノ浪に両上手を与えないような、普通ならこれ以上ない有利な体勢なのに、不利なはずの貴ノ浪が両腕で相手を抱え込んで振り回して、土俵の外へ持っていって勝ってしまう、というような相撲がよくありました。並の横綱でもありえないような形です。背筋がかなり強かったようです。

部屋は若貴と同じガチンコ藤島部屋に所属していました。2回の優勝はいずれも優勝決定戦で横綱貴乃花を破っています。映像が見つからなかったのですが、特に96年初場所の初優勝の時は、正攻法の貴乃花に対して、邪道の貴ノ浪が河津掛けという意表を突く技で逆転勝ちしています。

立ち合いに相手を右から引っ張り込みにいって、攻められて土俵際で残すような相撲が多く、両足首を故障し大関からも陥落してしまいましたが、それでも度々三役には復帰し、敢闘賞を受賞したこともありました。大関昇進が同時だったライバルの横綱武蔵丸から、大関陥落後に金星も獲得しています。

映像は見つけられませんでしたが、引退の数場所前、当時入幕して間もない黒海との初顔合わせの対戦は、とても印象に残っています。黒海は馬力で鳴らした大関武双山を引退に追い込むほどのパワーの持ち主でしたが、その黒海に対して肩越しにとった右上手から、何と上手ひねりで簡単に引きずり回し、一気に土俵際へ持っていき、そのまま今度は上手投げで土俵の外に投げ捨ててしまいました。普通では考えられません。

その貴ノ浪の現役時代の映像を一つ見つけました。横綱曙戦ですが、立ち合いに何と斜めに仕切っていて、警戒した曙が押し込まれています。舞の海が後ろに下がる立ち合いというのをしたことがありますが、それに匹敵するくらい意表を突いています。最後は土俵際で逆転の河津掛けで勝っています。

http://de.youtube.com/watch?v=mguDxGFsSLg

貴ノ浪も曙にはめったに勝てず、もう少し勝てていれば横綱になれたかも知れません。現在は音羽山親方として、貴乃花部屋で力士を指導しています。
タグ:大相撲 大関
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元横綱三重ノ海 [相撲]

現在の日本相撲協会の武蔵川理事長です。大相撲の主流派といわれる出羽海部屋の力士でした。30歳を過ぎてから横綱になりましたが、大関から関脇に一度陥落したこともあり、更には陥落後大関に復帰した初めての力士でした。ネット上にも現役時代の映像がいくつかあります。

75年の九州場所で初優勝していますが、これがそのときの映像です。対戦相手は旭国(現大島親方)です。このときの優勝額は、JR両国駅西口構内に飾られています。
http://de.youtube.com/watch?v=NUvIlakO2Y8

大関になってからしばらく低迷していましたが、横綱輪島に勝てるようになった頃からコンスタントに10勝以上するようになりました。輪島に勝つ時はだいたいこの映像のようなパターンでした。逆に輪島は三重ノ海に勝てなくなってからはなかなか優勝できなくなりました。
http://de.youtube.com/watch?v=uSQRze1k07E

79年名古屋場所後に横綱に昇進し、その年の九州場所と翌年の初場所で連続優勝を果たします。横綱北の湖(前理事長)の全盛期に連覇を達成できたのは、私の記憶では三重ノ海ただ一人です。これは連覇した時の映像です。対戦相手は横綱二代目若乃花(現間垣親方)です。
http://de.youtube.com/watch?v=NpVlCv4-8sQ

その後ケガもあって80年九州場所で引退し、横綱としては短命でしたが、玄人受けする力士でした。派手さや力強さはありませんでしたが、とにかく相撲のうまい力士でした。

引退後は出羽海部屋から独立を許され武蔵川部屋を創設し、横綱1人(武蔵丸)大関3人(武双山、出島、雅山)を育てています。
タグ:大相撲 横綱
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