SSブログ

元大関貴ノ花 [相撲]

貴乃花親方の父親で、往年の名大関です。引退後は藤島部屋を創設し、旧二子山部屋と合併してからは二子山親方となりました。残念ながら数年前がんで亡くなり、今日は命日です。

公の場に最後に姿を見せたのは、弟子の元大関貴ノ浪(現音羽山親方)の断髪式の時でした。入院中の病院から国技館に駆けつけましたが、土俵に自力では上がれず、土俵下にいた呼出しの手を借りてようやく土俵の上に立つことができるような有様でした。顔も大きくむくみ、痛々しい限りでした。

中学時代は将来の水泳のオリンピック代表候補とも期待されていましたが、水泳で飯は食えないと、実兄の元横綱若乃花の二子山部屋へ入門します。そして当時の最年少昇進記録を次々と作っていきました。横綱大鵬とも何度か対戦し、大鵬は71年夏場所、貴ノ花に敗れて引退を決意しました。

また、72年初場所の横綱北の富士戦は、貴ノ花の足腰の強さを強烈に印象付ける相撲となりました。貴ノ花の驚異の粘り腰に、北の富士が思わず先に手をついてしまい、これが「かばい手」か「つき手」かで物言いとなりました。勝負審判と行司の協議の結果、北の富士が手をつく前に既に貴ノ花は「死に体」だったとして「かばい手」と判断され、北の富士の勝ちとなりました。貴ノ花の死去直後のインタビューで、北の富士(現解説者)は、「あれは本当はつき手だった」と語っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=vpJvTs2bw3U

72年秋場所では、輪島と歴史に残る大熱戦を繰り広げ、敗れたものの、場所後に輪島と大関同時昇進を果たします。貴ノ花本人は引退直後のテレビ番組で、大関に上がった時点で既に体はボロボロだったと語っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=BPrNpwMZQnI

そんな貴ノ花も75年春場所で初優勝を飾り、この時の横綱北の湖との優勝決定戦は、視聴率が50%にも達したといわれています。
http://www.youtube.com/watch?v=HSIAdCg5VHo

この年は秋場所にも優勝決定戦で再び北の湖を破り、2回目の優勝を果たしましたが、翌場所は成績を残せず横綱昇進を逃しました。
http://www.youtube.com/watch?v=6EUcLJ74xZY

77年の初場所と春場所で連続準優勝の成績を上げるも横綱には届かず、78年以降は9勝6敗か8勝7敗の場所が多くなりました。79年名古屋場所の栃赤城戦では、土俵際の投げの打ち合いで貴ノ花が先に落ち、足腰の衰えを示す象徴的なシーンともなりました。
http://www.youtube.com/watch?v=aQPOeqCSyBY

80年初場所には千秋楽の北の湖戦で敗れ7勝8敗となり、大関になって15日間皆勤で初の負け越しを喫しました。それでもその年の秋場所には、高見山と大熱戦を繰り広げ、貴ノ花のまげがわずかに先に土俵につき、高見山の勝ちとなりました。
http://www.youtube.com/watch?v=Lt8XUCo2-UE

それから10年以上たって、テレビ朝日の大相撲ダイジェストでこの取組が紹介され、実はこの取組で怪我を負ったということを、貴ノ花本人がこの番組中に初めて明かしていました。確か足の靭帯を切ったようなことを言っていた記憶があります。それを隠して翌日も土俵に上がっていたというのは、驚くばかりです。

81年の初場所途中で引退を発表しましたが、大関在位は50場所を数え、これは千代大海に破られるまでダントツの大関在位記録でした。
タグ:大関 大相撲
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。