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慶州の旅館 [宿泊旅行]

もう10年以上も前の話ですが、韓国を旅行したことがありました。ソウル、釜山、慶州を回ったのですが、慶州で泊まった旅館が非常に印象に残っています。

バスターミナルからちょっと歩いたところだったと思いますが、「地球の歩き方」で見つけた韓進(ハンジン)旅館というところに泊まりました。そこのご主人が戦前の教育を受けた世代で、日本語を話せる人でした。

宿泊客の大半が日本人だったと思いますが、夜になると客を皆呼んで、植民地時代(いわゆる日帝統治の時代)の話や朝鮮戦争(韓国では南北戦争と言うようです)の話などしてくれました。今もご健在なら80歳前後のはずです。

植民地時代は日本に反対する人たちは皆亡命してしまって、周囲には殆どいなかったそうです。ですのでそのご主人も当時の日本の教育に何の疑問も持たなかったようです。お兄さんも日本軍に徴兵されて、日本のために戦うと言って戦死したそうです。

1945年8月15日の日本の無条件降伏により、日本人が朝鮮半島から皆引き揚げてから、自分達がだまされていたことに気付き、それから韓国内で反日感情が高まっていったと話していました。

南北戦争の時は、がたいのいい男は兵隊にすぐとられてしまうということで、外から家へ帰る時も畑の中を農作物の陰に隠れて見つからないようにして帰ったと言っていました。

この話を聞いた時はまだ南北首脳会談も全く想像できない時代でしたが、北に対しては敵対心というよりはあわれみを感じると話していたのが印象的でした。そのご主人は北には親類はいないと言っていましたが、北が自由のない厳しい暮らしをしているというのは当時から知られていたようです。

戦後は米軍が駐留し、韓国もアメリカの影響下に置かれるわけですが、日本に統治されていた時代と比較して色々難しい面もあったと言っていました。日本人のことを信頼することは難しい反面、アメリカはアメリカで文化が違い過ぎると言っていました。働かない国はだめになるとも言っていました。

もう一つ変わった話では、韓国人には二通りの顔があると言っていました。新羅顔と百済顔だそうです。簡単に言うと、新羅顔は面長で百済顔は丸顔で骨格がしっかりしている感じです。そのご主人は新羅顔でしたが。百済顔は光州の方に多いようです。百済顔の人は不平不満が多いし信用できないと言っていました。これが韓国の地域対立かと、ちょっと興味深く聞いてしまいました。

たまたま出会った人の話ではありますが、ごく普通の韓国の老人の話を、思いがけず直接聞くことができて、運がよかったと思います。私にとっては、どの話も日本にいては耳にすることのなかったであろう話ばかりで、新鮮でした。この旅行は私にとって初めての海外一人旅でしたが、個人旅行ならではの旅を体験することができました。
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