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本田宗一郎に関する諸々 [歴史]

ホンダの創業者であり、松下幸之助と並ぶ、言わずと知れた戦後の日本産業界を代表する人物です。1906年11月17日の生まれですから、もう生誕103年余りになります。

本田宗一郎は静岡県西部の旧光明村(その後旧天竜市を経て現浜松市)の出身です。旧天竜市の時代に、市内に記念館が建設されることが決定されていましたが、合併後の浜松市の財政難により、計画が大幅に縮小・延期され、まだオープンには至っていないのではと思います。

ハコモノ行政が全国的に批判を受ける中、一つの時代の流れといえる部分はあるかと思いますが、記念館建設の打診を受けて、既に遺族が遺品の多くを旧市に寄付してしまっており、遺族は複雑な思いを抱えているのではとも思います。似たような話は、他の都道府県でももしかするとあるかも知れません。

私が思うに、これは財政難のみならず、旧天竜市の人たちの思いと合併後の浜松市の考えに温度差があった結果ではないかとも思います。本当に合併してよかったのだろうかという感じもしますし、その計画変更にホンダのライバル会社であるスズキの社長が関与していたというのが、私には解せないところです。

地元では時々本田宗一郎にちなんだイベントなどもあって、私も一度見に行ったことがあります。自転車にエンジンを載せただけの初期のオートバイや、レースに出場したバイクなどがありました。

本田宗一郎個人の遺品も展示されていましたが、その中で意外だったのは、自筆の絵です。本田宗一郎は絵も上手で、たくさん作品が残されていました。忙しい中いつ頃作成したのかわかりませんが、社長退任後の作品が多いのかも知れません。また、亡くなる1ヶ月前にゴルフを楽しんでいる写真もありました。

本田宗一郎について、本田技研を一代で世界的企業にまで育て上げたこと以外にも、特筆すべき点があるとすれば、当初一緒に仕事をしていた弟を途中で辞めさせ、息子も入社させなかったことかと思います。並の人間ではなかなかできることではないと思います。

本田宗一郎は著書も残しています。私も一部読んだことがありますが、「人間は試してみることが大好きだ」というようなことが書かれていたのが印象に残っています。本田宗一郎の通った地元の光明小学校では、今でもその教えを子供たちが学んでいるようです。
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