与謝野鉄幹・晶子 居住跡 [旧居跡]
ここも知る人ぞ知る東京の史跡です。地図にも殆ど明示されていません。私もたまたま通りがかって目に入り、あわてて写真に収めた次第です。
場所は私の記憶では、靖国神社の北にある東京逓信病院の前の坂を下った途中の一角にあったと思います。その一角だけ樹木が植えられています。
与謝野鉄幹と晶子は共に明治時代の歌人であり、特に与謝野晶子は教科書にも出てくる人物で、一般にもよく知られている人物だと思います。また自民党を離党した与謝野元財務相はその孫です。
ここだけを見に行く価値は、世間の大多数の人たちにとっては、まずないと思います。もし行くのであれば、これも見る価値は定かではありませんが、近くにアーネスト・サトウの庭園跡があるので、セットでどうぞ。ただし、当時の面影は全くないので、そのつもりで。
アーネスト・サトウの庭園跡は靖国神社北側の通り沿い、法政大学の敷地に面した歩道に案内板が設置されています。アーネスト・サトウは、幕末から明治にかけ20年以上日本に滞在したイギリスの外交官で、幕末維新期には度々その名前が登場する人物です。「一外交官の見た明治維新」という著書も残しています。
場所は私の記憶では、靖国神社の北にある東京逓信病院の前の坂を下った途中の一角にあったと思います。その一角だけ樹木が植えられています。
与謝野鉄幹と晶子は共に明治時代の歌人であり、特に与謝野晶子は教科書にも出てくる人物で、一般にもよく知られている人物だと思います。また自民党を離党した与謝野元財務相はその孫です。
ここだけを見に行く価値は、世間の大多数の人たちにとっては、まずないと思います。もし行くのであれば、これも見る価値は定かではありませんが、近くにアーネスト・サトウの庭園跡があるので、セットでどうぞ。ただし、当時の面影は全くないので、そのつもりで。
アーネスト・サトウの庭園跡は靖国神社北側の通り沿い、法政大学の敷地に面した歩道に案内板が設置されています。アーネスト・サトウは、幕末から明治にかけ20年以上日本に滞在したイギリスの外交官で、幕末維新期には度々その名前が登場する人物です。「一外交官の見た明治維新」という著書も残しています。
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