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病院への恩返し [日常・社会]

本日、私の祖父の7回忌の法要を迎えます。今回残念ながら私は出席できませんが、色々と思い出すこともあります。

祖父は亡くなる前、約半年間入院していました。私は祖父とできるだけ多くの時間を過ごしたい一心で、当時ほぼ毎週、多い時で1日おきくらいで病院に足を運んでいました。

見舞は大抵、夜に30分程病室に顔を出すという感じでした。行ってみると祖父は既に寝てしまっていた時もありました。病室に親戚がノートを置いてくれていて、見舞に来た人間が皆そこに色々祖父の様子を書いていました。いつもそれを読んだり、また自分が顔を出した時に祖父が話したことなどを書いたりしていました。看護師さんが少し様子を教えてくれた時もありました。

そんな感じで足しげく通っていたので、看護師さんにも顔を覚えられるようになりました。

私が行くと、祖父が私に病院から家に連れて帰れと言うことも多く、タイミングを上手く見計らわないとなかなか帰れないような日々の連続で、なかなか大変なことも多い状況でした。1時間以上も帰れないままの時もありました。そんな時は、見かねた看護師さんが祖父の気をうまくそらして、私を逃がしてくれた時もありました。

残念ながら祖父は亡くなりましたが、祖父は生前看護師さんたちに時々ねぎらいや感謝の言葉をかけたりもしていたようです。私も個人的に看護師さんたちには本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

私はその頃、趣味で沖縄三線を弾いていて、三線のサークルの代表をしていました。時々老人ホームなどボランティア演奏に行ったりもしていたのですが、この病院でボランティア演奏をすることを思い立ちました。同居の親族でない自分の立場で、病院への感謝の気持ちを形にするなら、これが一番いいだろうとも思いました。

普段出張演奏をする時は、たいてい何らかの伝手で相手先からオファーがあるのですが、この時だけは、自分から病院に電話をしました。なじみの看護師さんに電話をつないでもらったような記憶が何となくありますが、とても喜んでくれました。病院側もそういうボランティアを受け入れる体制を既に持っていて、話は割と早かったです。

演奏したのは、祖父が亡くなって半年くらい後だったかと思います。患者さんのみならず普段忙しい看護師さんにも少しでも楽しんでもらえたらと思いながら、自分からのお礼と、祖父になりかわってのお礼と、二つの気持ちを込めて演奏しました。

あくまで自分のためにやったことなので、この話は今まで身内も含め、殆ど人に話したことがないと思います。しかし7回忌を迎えるにあたり、一つの思い出として、そろそろ明らかにしてもよいかなと思いました。
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