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プロ野球外国人選手 「助っ人」と書くのはそろそろやめよう [日常・社会]

最近のメディア報道を見ていると、時々そのセンスに違和感を持ってしまうことが私はあるのですが、プロ野球で勝利に貢献した外国人選手たちを、今シーズンもまるで決まり文句のように「助っ人」と表現し続けていた報道に、私はちょっと疑問を感じています。

「助っ人」という表現から捉えるイメージは、厳密には人それぞれでしょうが、私はこの言葉の背後に、「自分たちとは違う、よそから来た人」で「いずれはいなくなる人」という臭いをとても感じてしまいます。

確かに、外国人選手の平均在籍年数は、実際には日本人選手と比べればかなり短いはずで、大きな期待の中で迎えられる彼らは、結果が出なければ1年でも解雇されてしまう立場に置かれています。

しかし、彼ら外国人選手の大半は、間違いなくチームの主力として迎えられているわけで、見方を変えれば、日本のプロ野球には欠かせない存在です。にもかかわらず、本当に自分たちと同じチームの一員として捉えているのかどうか、「助っ人」という言葉にはどうも私は疑問を感じます。

実際の現場ではきっと間違いなくチームの一員なのだと思いますが、それを報道する記者たちの意識はどうなのか?

戦力の補強という面では、FA制度ができて以来、補強される選手は必ずしも外国人だけではなくなっています。しかしその補強で獲得された日本人選手が「助っ人」と呼ばれることはありません。

更に日本人選手に目を向けるならば、昔とは違って、たとえ日本人選手であってもずっと日本のプロ野球にとどまっているとは限らず、優秀な選手は何年かすると日本を離れてしまうことが少なくないのが現状です。更には野茂や松井秀喜、長谷川などのように、日本に戻らずにそのまま引退してしまう選手も出るようになっています。日本人選手そのものも、ドメスティックな存在ではなくなりつつあります。

その一方で、ラミレスのように、日本へ来て2000本安打を達成するような外国人選手も現れるに至っているわけです。もはや日本のプロ野球を代表する、そして日本のプロ野球の歴史にも名を刻む存在です。それでも「助っ人」なのでしょうか?

もっと言うならば、近年は外国人選手といってもアメリカのメジャーリーグの選手を引っ張ってくるばかりではなく、ヤクルトや広島のように自前のアカデミーで育成した選手を連れてきたり、あるいはマエストリのようにイタリアから来る選手もいます。外国人選手といっても、ひとくくりにするには無理があります。

別のスポーツに目を向けると、サッカーのJリーグでもかなり多くの外国人がプレーしていますが、彼らを「助っ人」と書く報道は、あまり見た記憶がありません。これは一体どういうことなのか?

私は報道の現場を知っているわけではありませんが、プロ野球担当の記者が、今まで先輩記者が多用してきた用語を、何の疑問もなくただ引き継いで使っているだけのように、私には思えてきます。これはプロ野球報道に限った話ではありませんが。

報道の現場は忙し過ぎるのかも知れませんが、世の中で起こったことを世間に伝える仕事をしている人たちが、世の中の変化をあまり捉えていないように見えるのは、奇妙な矛盾に思えます。

とにかく、外国人選手を何でもかんでも安易に「助っ人」呼ばわりするのは、そろそろやめませんか?
タグ:報道 野球
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