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「八重の桜」を振り返る [映画・テレビ]

新年に入り、NHKの大河ドラマも「軍師官兵衛」が始まりましたが、遅ればせながら、昨年の「八重の桜」を振り返ってみます。

平均視聴率は関東で14.6%と、過去4番目に低い数字だったようですが、私の実感としては、内容はこの数字以上にもっと評価されてもよかったはずだと思っています。

ちなみに福島県の平均視聴率は23%に達していたようです。

私が「八重の桜」から受けた好印象としては、以下大きく3つあります。
①大筋で史実に沿った内容だった
②歴史上の権力者以外の人物を描いた
③各界に名を残した人物が幅広く登場した


①については、会津や京都の歴史に詳しい人からみたら、創作の部分も色々目についたかも知れませんが、大筋の部分では、歴史をほぼなぞった内容だったように思います。特に幕末の会津藩に関して、孝明天皇の宸翰の存在にも触れたのは、よかったと思います。ここが一番の肝だと思いますので。

テレビドラマですので、多少の脚色が入るのはありだと思います。ただ、何年か前の「江」のように、本能寺の変の直後に江が家康と一緒に逃げたという設定など、多くの人に知られている史実をねじ曲げ、当時の状況からはあり得ないような脚本を作るのは、さすがにやり過ぎで興ざめだと思います。

今回は、山川捨松と大山巖の結婚を認めるかどうかを、山川家(しかも家老の家柄)の人間でもない八重が大山巖と腕相撲をして決着をつけるという、とんでもない場面を除けば、そこまでのレベルはそうそう目にはつきませんでしたが。

なお、八重の最初の夫であった川崎尚之助については、今回の大河ドラマをきっかけに研究が進み、逆に史実が明らかになっていったとの報道もありました。


②については、私としては少なくとも、信長・秀吉・家康の3人はもう結構、という感じを以前から持っていました。今回は知名度の低さが低視聴率につながったのかも知れませんが、殿様でも姫様でもない、その時代に生きた一般人に目を向けるというのは、私には新鮮に思えました。


③については、個人的には一番インパクトがありました。

徳富蘇峰・蘆花については、名前は知っていましたが、どういうことをした人物か全く知らず、新島襄の同志社の門下生だったことも今回初めて知りました。新島襄と勝海舟のつながりについても、全く知らずにいました。

京都絡みでは、京都の産業振興をリードした槇村正直の名前も今回初めて知り、八重の兄・山本覚馬に関しては、京都府顧問や初代京都市議会議長を務め、また新島襄の後ろ盾となって同志社の設立や運営を支え続けた人物であったことなど、全て初めて知ることばかりでした。

熊本に銅像の残る熊本バンドの存在も、またしかり。秋月悌次郎が晩年熊本で教師をしていた、というのは知っていましたが。

なお、今回のドラマでははっきり触れられていませんでしたが、山本覚馬の娘・みねの夫は横井小楠の息子でした。


さて、これだけドラマで同志社が登場したら、今年の同志社の受験志望者数はかなり増えてもよさそうですが、果たしてどうなるか?

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
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