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土方歳三の故郷 [幕末維新]

数年前に、東京・日野市の土方歳三の生家周辺を歩いてみました。

土方歳三は、1835年に日野の農家に生まれ、最初は薬の行商をしていたようです。1863年に将軍家茂上洛警護のために募集された浪士隊に加わり、これがその後新選組に発展します。新選組では副長となり、局長の近藤勇とともに京都で尊攘派浪士の取り締まりにあたります。鳥羽伏見の戦いでは、負傷を抱え戦闘に加わらなかった近藤に代わり新選組の指揮をとりますが敗れ、その後江戸を経て甲府、宇都宮、会津と転戦し、榎本武揚に合流し箱館政府に加わります。その際、陸軍奉行並に選ばれているところからも、周囲に実力を認められる存在だったようです。1869年の五稜郭の戦いで敵の銃弾に倒れたといわれています。

さて、まずは土方歳三資料館を目指しました。場所は多摩都市モノレールの万願寺駅から徒歩2~3分です。立川から3駅、高幡不動から1駅、モノレールができて随分便利になりました。毎月第1、第3日曜のみ見学できます。私が行った日はあいにく休みでした。

行ってみると、ごく普通の民家です。土方歳三の子孫の家のようで、近年建替えられたらしいです。門を入ると少し先に胸像があります。門の格子の間から写真を撮ってみました。洋装の写真は有名ですね。京都の芸者にめちゃくちゃモテたらしいですが、確かにそういう雰囲気はありますね。

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そこから少し歩いて、墓のある石田寺(せきでんじ)へ行きました。歩いていると気がつくのですが、この近辺は土方姓ばかりです。宅地化が進んでいますが、まだ多少畑地もみられます。

石田寺の門は閉まっていましたが、脇の通用門らしきところから入ってみました。訪問者が多いようで、一応歩くルートが示されています。土方歳三の大きな石碑が目に入ります。

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そこから目と鼻の先に土方歳三の墓があります。墓といっても骨は納められていないようです。他の墓を見ても土方姓が多いので、案内板がなかったら本当にどれが土方歳三の墓なのかわかりません。

多少時間があったので、更に高幡不動まで足を伸ばしました。暑かったのでモノレールに乗りましたが、1駅だと100円でした。

高幡不動尊の境内に入ると左手に土方歳三の銅像と土方歳三と近藤勇の顕彰碑が並んであります。ここの寺は多摩では有名で、正月などはかなり混雑するようですが、この日はガラガラで、門前の土産物屋も暇そうでした。ここにある銅像は新選組ファンには割と知られているようですね。

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