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甲府の城 [城]

甲府には城跡が2つあります。

一つは武田信玄の時代の城で、現在は武田神社になっています。武田信玄の「人は石垣、人は城」という言葉は有名ですが、この武田神社へ行くと、正面にも神社裏手にもしっかり石垣を目にします。武田信玄ファンにはちょっとショックかも知れません。

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もう一つは秀吉の天下統一以降に造られた甲府城です。地元では舞鶴城と呼ぶようですね。

甲府は江戸幕府からはかなり重要視され、将軍家一門や柳沢吉保などが配されたところだけあって、甲府城もかなり大きいです。現在は当時の敷地の半分くらいしか残っていないようですが、全部保存されていたら、姫路城とまではいかないものの、彦根城並みの威容だったのではと想像します。

この甲府城は甲府駅のすぐそばにあります。正確にいうと、甲府城の城内を横切るように中央本線が敷設されています。天守閣跡から甲府駅が見えます(下の写真のような感じです)。城は少しずつ復元・整備が進んでいるようですが、既に駅以外にも県庁の敷地や市街地になっている部分が多く、完全な復元は無理だろうと思います。

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日本の城下町の多くは、明治時代に鉄道が敷かれる際、城下町のはずれに駅を置くのが一般的でしたが、この甲府城のように城下のど真ん中を鉄道が横切る例も、全国見渡すといくつか見られます。私が知っている範囲でも、水戸や沼津はその一例だろうと思います。水戸は堀の中を鉄道が走っていますね。沼津は城跡に駅ができていて、大手町などかろうじて地名に城下町の名残があるのみで、完全に破壊されてしまっています。

日本の城の多くは、廃藩置県の時に姿を消してしまったようですが、どうもお上からの一方的な命令というわけでもなく、地元の意向を採り入れながら、残す城と破却する城の選別が行われたようです。

例えば会津の鶴ヶ城の場合は、戊辰戦争で天守閣が砲撃され、一部が崩れそうになったまま残されていて(地元ではその姿を写した絵葉書も売られています)、修復する金もないということで、廃藩置県の頃に地元が解体を申し出たようです。
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