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流山 近藤勇陣屋跡 [幕末維新]

千葉の流山というと、最初は東京の通勤圏という印象を私は漠然と持っていたのですが、実は歴史のある街でもあります。数年前に一度足を運んだことがあります。大河ドラマを毎年見ている人はご存知かと思いますが、ここは実は新選組に関係があります。

総武流山電鉄で終点の流山まで行きました。この私鉄、都会の中のローカル線という感じです。単線で、車両も西武鉄道のお古っぽいです。これでも平日の朝晩は通勤通学客できっと混むのでしょう。

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終点の流山駅もローカルな風情たっぷりです。改札は無人。でも自動改札ではなく、PASMOも使えませんでした。

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改札を出て駅前に出ると、正面に新選組の案内板が目に入ります。駅から歩いて5分くらいのところに新選組の陣屋跡があります。

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陣屋跡は住宅街の中にありました。蔵作りの建物の前に、案内板や石碑がありました。隣からは住民の話し声なども聞こえました。

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1868年1月の鳥羽伏見の戦いで敗れた新選組は、江戸へ戻ったのち甲州へ赴き新政府軍と戦いますが再び敗れ、江戸へ戻ってきます。4月になり流山へ入ったのですが、ここで新政府軍に包囲されてしまいます。新選組は数ヶ所に分駐していたようで、近藤勇と土方歳三は別々の場所にいました。

近藤勇は大久保大和と称して投降しますが、のちに近藤勇であることを見破られてしまいます。そして近藤勇は板橋に護送され、斬首されてしまいます。この流山は近藤勇と土方歳三の離別の地とされています。その後土方歳三はこの地を去り、宇都宮、会津、仙台を経て箱館へと向かうことになります。
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