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智乃花伸哉 「不屈」 [相撲本]

大相撲の元小結智乃花の著書です。実業之日本社から1575円で出ています。

入門したのが1992年で、引退したのが2001年ですから、現役時代を知らない人も多くなってきているかも知れません。現在は玉垣親方となっています。

普通は中学を卒業して15、6歳で入門する力士が圧倒的に多い中で、中学・高校教師を経て27歳で入門し、当時話題を呼びました。27歳という年齢は、入門時の史上最高齢のはずです。現在は規則が改められ、その年齢ではもう入門できません。

日大相撲部時代は、元小結舞の海の3年先輩でした。舞の海の活躍が、安定した職を捨てて27歳での入門を決意するのに大きな影響を与えた、というのは、当時からよく知られていました。それにしてもそうそうできることではありません。しかも三役にまで上がり、若貴兄弟にも1回ずつ勝つなど、結果を残しています。

それだけ相撲に対する思い、志が強かったということだと思いますが、我々の一般社会でもそういった成功した人の影に、志が高くても結果を残せない人が山ほどいるわけですから、尊敬に値します。

また相撲に限らず、こうしたスポーツ選手の半生を目にすると、現役生活が短い分、その間に我々一般人の生活よりも何倍も凝縮された人生を送っているようにも思えます。実際にそういう有名人に会ったことがないので、本当のところはわかりませんが、おそらく同年齢の一般人と比べたら、はるかに人生の辛酸を知っているのではないかと思います。

智乃花の土俵人生の後半は怪我の連続で、小兵力士の宿命などと軽々しくはとても言えませんが、特に十両に落ちてからは、とても五体満足に相撲を取れなかった様子がうかがえます。

智乃花の現役当時は大相撲には公傷制度というものがあり、本場所の土俵での怪我については、休場して翌場所番付が下がっても、翌々場所はそのまま同じ番付にとどまれる、という制度がありました。

この制度はその後、北の湖親方が理事長の時代に廃止されてしまいました。最近の相撲に粘りや懸命さがあまり感じられないのは、力士が怪我をかつて以上に恐れるようになってしまっているのかも知れません。私は公傷制度の復活を強く望みます。

智乃花の例を読むと、全然治りきらないうちに土俵に上がっていますので、公傷は1場所でも足りないようにも思います。手術が必要な大きな怪我については、関取には2場所認めるくらいの思い切った手があってもいいと思います。

その代わりその間は給料を無給や減額にしたり、あるいは完全に同じ番付を保障するのではなく、5枚づつ2場所落とすなど、協会も力士も世間も納得させる工夫はいくらでもできると思います。

興行という性格上、人気力士にそういつまでも休まれては困るという事情もあろうかとは思います。しかし、不十分な体調で煮え切らない中途半端な相撲を次から次へと見せられるのは、本当に痛々しく、またつまらないものです。ひいきの力士を待っていられないファンはいないと思いますし、待っていられないならそれは本当のファンではないとも思います。
タグ:大相撲
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