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「号泣」にみる違和感 [日常・社会]

最近、テレビや報道の見出しで「号泣」という単語をしばしば見かけます。

でも実際にその映像や写真を見る限り、「号泣」をしていることは滅多にありません。大抵は「涙を流している」だけです。

「号泣」を広辞苑で調べてみると、「大声をあげて泣くこと」とあります。ただ単に涙を流しているのとは、明らかに違います。

我々が映像上で実際に号泣の場面を目撃できるのは、せいぜいドラマの一場面かどこかの外国の報道程度だろうと思います。

恐らくは、「泣いている」ということを短い字数制限の中で表現するために、「号泣」が使われているのかもと想像しますが、しかし言葉で飯を食っている人たちが、言葉の誤用を何度も繰り返すというのは、果たしてそれでいいのだろうか、という気が私はしています。

言葉の意味というのは、時代と共に少しずつ変化していくものではありますが、しかし本来言葉の意味を一般人以上にきちんと理解し、自分の言葉に人一倍責任を持たなければいけないはずの、言葉の使い手のプロによって、その変化が生み出されるとしたら、それはちょっと違うのではないかなと、私は思います。

そこで対案。「号泣」の部分は一言「涙」と置き換えてみてはどうか?インパクトに欠けるという意見はあるかも知れませんが、私はこれで十分だと思います。
タグ:報道
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