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昭和大相撲騒動記 大山眞人著 平凡社新書 [相撲本]

この本は、1932(昭和7)年に起こった「春秋園事件」を通じて、またその後の時津風(双葉山)など歴代理事長時代に行われた改革などにも触れながら、現在の大相撲に依然として残っている数々の問題に焦点を当てる内容の本です。

私はこの春秋園事件の概略は以前から知っていましたが、ここまで詳しくその経緯が書かれた本を読んだのは初めてです。またそれ以前にも、新橋倶楽部籠城事件(1911年)や三河島事件(1923年)など、大相撲改革や力士の待遇改善を求める同様の事件があったことを、この本で初めて知りました。

春秋園事件とは、関脇天龍三郎を中心とする出羽海部屋の大関以下関取32名の力士が、東京・大井町の中華料理店「春秋園」に立てこもり、大相撲の改革を訴え、新たな興行団体「大日本新興力士団」を立ち上げるに至ったという、近代大相撲史上最大といってもよい事件です。

そして、協会に残った力士の中からも、力士への待遇や春秋園事件への協会の対応へ不満を持った十数名が、新興力士団とは別に「革新力士団」を立ち上げるに至り、協会は窮地に追い込まれることとなりました。この革新力士団については、私も今まで全く知りませんでした。

当時は協会の運営が極めて不明朗で、また力士の生活も、関取でさえも後援者(いわゆるタニマチ)からのご祝儀や小遣いなしでは、まともな生活を維持できないほど、協会内での地位は極めて低いものでした。

天龍らが相撲協会に突き付けた改革要求案は、次のようなものでした。

一、協会の会計制度を確立されたい。
二、興行時間を改正されたい。
三、入場料を低下して、大衆の相撲でありたい。
四、相撲茶屋を撤廃されたい。
五、年寄制度を漸次撤廃されたい。
六、養老金制度を確立されたい。
七、地方巡業制度を根本的に改められたい。
八、力士の生活を安定されたい。
九、冗員を努めて整理されたい。
十、力士協会を設立し、もっぱら力士の共済制度を確立されたい。

このうち、力士の待遇に関する問題(六、八、十)についてはかなり改善が図られ、十両以上の関取については、現在では月給制も導入され、相応の経済的な安定を得られるようになりました。

しかしながら、相撲茶屋(四)と年寄制度(五)については、実質的に殆ど手をつけられることなく現在に至り、新しい公益法人制度への移行に際しては、そのままでは通らないのではないかともみられています。

天龍たちの興した新団体は、髷を落とし、番付を廃止し、力士を実力別に3つのクラスに分け、その中で総当たり戦を行うなど、当時の大相撲にはない斬新な仕組みを導入し、旗揚げ興行も大成功を収めました。ただ、その後は運営上の困難が色々と重なり、結局5年で解散の結末を迎え、天龍などその時点で引退した力士以外は、再び協会に戻っています。

しかしながら、当時の天龍たちの問題提起は、現在の大相撲にも通じる本質を捉えたものとも言え、その行動力と勇気は素晴らしいと思います。

そして、天龍三郎(本名和久田三郎)自身は、その後は満州国官吏を経て戦後は実業家として成功する傍ら、ラジオの相撲解説者としても活躍し、1989年に86歳で亡くなっています。

この本では、戦後の時津風(双葉山)理事長時代の改革にも触れられています。月給制や定年制の導入、相撲教習所の設立、国技館への椅子席の設置、部屋別総当たり制の導入、協会役員選挙の導入、審判部の設置など、現在の協会はこの時津風改革で土台が築かれたということがわかります。

ここ数年、大相撲は不祥事が相次ぎ、本場所の客席にも空席がかなり目立つ状態が続いています。弟子暴行死事件、大麻事件、野球賭博事件、そして八百長メール事件と、前代未聞の大問題が立て続けに発覚しました。

それに対して、相撲協会は世間の信頼回復、更には時代の先を見据えた有効な手立てを、なかなか打ち出せずにいるように見えます。

年寄株の扱いについては、公益財団法人への認可問題も見据え、放駒前理事長の時代に、協会による買取・一括管理の方向が示されましたが、北の湖現理事長になってからは、それも反故にされつつあるように見えます。

この本は、そんな大相撲の今後のあるべき姿を考える上で、大変参考になる本かも知れません。


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タグ:大相撲
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