築地本願寺 [寺]
東京の築地市場のすぐ近くにある、大きな寺院です。一見モスク風にも見える、石造りの建物です。
正式名称は「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」で、1617年に京都の西本願寺の別院として建立されています。当初は浅草にありましたが、移転や建て替えを繰り返した後、1934年に現在の建物が完成しています。
古代インド仏教様式が採り入れられていて、モスク風に見えたのもそのせいです。
建物の中は誰でも入れますが、私が行った時は本堂で一般の檀家の法事が行われていました。
ここは寺院でありながら、パイプオルガンも設置されています。毎月最終金曜日の12時20分から12時50分まで、入場無料でランチタイムコンサートが行われているようです。仏教とパイプオルガンというのは、ちょっと想像できませんが、どんな感じなんでしょうか?
最寄駅は東京地下鉄日比谷線の築地駅ですが、有楽町線の新富町駅や都営大江戸線の築地市場駅からも歩いて行けます。
築地本願寺
東京都中央区築地3-15-1
http://tsukijihongwanji.jp/
正式名称は「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」で、1617年に京都の西本願寺の別院として建立されています。当初は浅草にありましたが、移転や建て替えを繰り返した後、1934年に現在の建物が完成しています。
古代インド仏教様式が採り入れられていて、モスク風に見えたのもそのせいです。
建物の中は誰でも入れますが、私が行った時は本堂で一般の檀家の法事が行われていました。
ここは寺院でありながら、パイプオルガンも設置されています。毎月最終金曜日の12時20分から12時50分まで、入場無料でランチタイムコンサートが行われているようです。仏教とパイプオルガンというのは、ちょっと想像できませんが、どんな感じなんでしょうか?
最寄駅は東京地下鉄日比谷線の築地駅ですが、有楽町線の新富町駅や都営大江戸線の築地市場駅からも歩いて行けます。
築地本願寺
東京都中央区築地3-15-1
http://tsukijihongwanji.jp/
下田 玉泉寺 [寺]
ここは幕末の1856年、日本で最初の米国総領事館が置かれた場所です。国指定史跡になっています。
初代米国総領事タウンゼント・ハリスは、その後の日米修好通商条約締結により東京へ総領事館が移るまで、約3年弱ここに滞在しました。また日本で最初に牛乳が飲まれた地でもあり、色々と奥の深い寺です。
米国のカーター元大統領も現職当時ここを訪れています。
米国のみならず、英仏など各国は日本の開国当初、寺を領事館としていた例が多いのは、ちょっと興味深いところです。
http://www1.ocn.ne.jp/~gyokusen/top.htm
初代米国総領事タウンゼント・ハリスは、その後の日米修好通商条約締結により東京へ総領事館が移るまで、約3年弱ここに滞在しました。また日本で最初に牛乳が飲まれた地でもあり、色々と奥の深い寺です。
米国のカーター元大統領も現職当時ここを訪れています。
米国のみならず、英仏など各国は日本の開国当初、寺を領事館としていた例が多いのは、ちょっと興味深いところです。
http://www1.ocn.ne.jp/~gyokusen/top.htm
下田 了仙寺 [寺]
幕末の開国と関係の深い寺です。国指定史跡になっています。
1854年の日米和親条約締結により下田開港が決められ、その約2ヶ月半後、この了仙寺で更に詳細を定めた下田条約が日米間で結ばれました。私もここへ来るまで知りませんでした。
寺には美術館も併設され、米軍が寺に来た時の様子を描いた絵などが展示されています。絵に描かれている了仙寺は、現在の寺の建物の配置とほぼ同じと思われ、タイムスリップしたような気分になれます。また、当時の日本人が描いたペリーの似顔絵などもあります。
春には境内にアメリカジャスミンの花もたくさん咲きます。
http://www.izu.co.jp/~ryosenji/
1854年の日米和親条約締結により下田開港が決められ、その約2ヶ月半後、この了仙寺で更に詳細を定めた下田条約が日米間で結ばれました。私もここへ来るまで知りませんでした。
寺には美術館も併設され、米軍が寺に来た時の様子を描いた絵などが展示されています。絵に描かれている了仙寺は、現在の寺の建物の配置とほぼ同じと思われ、タイムスリップしたような気分になれます。また、当時の日本人が描いたペリーの似顔絵などもあります。
春には境内にアメリカジャスミンの花もたくさん咲きます。
http://www.izu.co.jp/~ryosenji/
泉岳寺 [寺]
東京の港区にある寺です。ここは忠臣蔵の四十七士の墓があることで有名です。都営地下鉄浅草線の泉岳寺駅からすぐのところにあります。
寺の敷地に入ると、右側に大石内蔵助の銅像があります。
本堂はこんな感じです。
四十七士の墓は、本堂手前の左奥にあります。四十七士の墓の横には、浅野内匠頭とその夫人の墓があります。写真は撮りませんでしたが、大名の墓にしては少し墓石が小さいような印象を受けました。群馬県にあった織田家の墓より小さかった感じですね。
大石内蔵助の墓は、仕切りを隔ててこそいますが主君浅野内匠頭の墓の隣にあり、確か雨よけの小さい屋根(庇?)があったと思います。息子の大石主税の墓も同様になっていました。
四十七士の墓はそれぞれに名前のほか、行年○○と亡くなった時の年齢が書かれていました。討ち入り前に自害した萱野三平の名が刻まれた墓もここにありますが、行年は記されていませんでした。
寺の敷地に入ると、右側に大石内蔵助の銅像があります。
本堂はこんな感じです。
四十七士の墓は、本堂手前の左奥にあります。四十七士の墓の横には、浅野内匠頭とその夫人の墓があります。写真は撮りませんでしたが、大名の墓にしては少し墓石が小さいような印象を受けました。群馬県にあった織田家の墓より小さかった感じですね。
大石内蔵助の墓は、仕切りを隔ててこそいますが主君浅野内匠頭の墓の隣にあり、確か雨よけの小さい屋根(庇?)があったと思います。息子の大石主税の墓も同様になっていました。
四十七士の墓はそれぞれに名前のほか、行年○○と亡くなった時の年齢が書かれていました。討ち入り前に自害した萱野三平の名が刻まれた墓もここにありますが、行年は記されていませんでした。