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織田家のその後 [歴史]

日本史ファンの間でも殆ど話題に上らない話かも知れません。豊臣秀吉以後の豊臣家は秀頼の代で滅亡してしまったことは広く知られていますが、織田信長以後の織田家はどうなったのでしょうか。

実は江戸時代も細々とではありますが、断絶せずに続いています。フィギュアスケートの織田信成が子孫であることはよく知られていますね。

信長の次男信雄は1615年(大坂夏の陣の年)に上州小幡2万石と大和宇陀郡3万石の合わせて5万石を家康から与えられました。織田宗家はその後8代150年にわたり小幡を統治することになります。8代信邦の時、明和事件に家臣がかかわったことにより山形の高畠に移封され、更に山形の天童に移って明治維新を迎えます。

この織田家の小幡陣屋は、現在の群馬県甘楽(かんら)町にありました。富岡製糸場のあった富岡市の隣です。歴史観光地としては殆ど知られていない部類に入ると思います。地元の人には失礼かも知れませんが、穴場中の穴場と言ってもいいでしょう。

現地は、当時の面影を残す堰や武家屋敷が微妙に残っています。以前私が行ったときには、信雄が作った楽山園という庭園が復元工事中でした。周辺の道の案内もまだ不十分で、観光地としては発展途上という感じでした。

こちらは小幡陣屋跡周辺です。塀は復元されたものです。

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こちらは武家屋敷のほんの玄関先なのですが、喰い違い郭というものです。現在この屋敷は普通の民家なので、これ以上は入れないのですが、他では殆ど見ることのできない、非常に珍しいものだと思います。現地でも見過ごしてしまいそうなので、注意が必要です。

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また写真は撮りませんでしたが、織田家当主の墓も現地にあります。
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