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ターゲットは幕末!京都の穴場 6 [京都]

島原を後にして、バスで河原町通方面へ移動しました。次の目的地は池田屋跡です。ここから先は石碑めぐりのようになってしまいました。

池田屋に行く前に、そのすぐ近くにある坂本龍馬旧居跡へ寄りました。今はこんな感じの店になっています。

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そこからちょっと北の三条通沿いに池田屋の跡地はあります。私が行った当時はパチンコ屋でしたが、その後居酒屋(はなの舞)になったようです。店の中には当時の池田屋を思わせる階段が再現されているらしく、歴史ファンにはまた新たなツボになっているかも知れません。

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この池田屋跡は今回どうしてもこの目で見たかったところです。ただ石碑があるだけですし、幕末や新選組に興味のない人には本当に何の価値もない場所ですので、下手に人を誘って来たりはしない方が無難かも知れませんね。

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池田屋跡のちょっと脇には三条大橋があって、鴨川の眺めはこんな感じです。

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ここからまたバスを使って、河原町三条から四条河原町へバス停1個分だけ移動しました。目的地は古高俊太郎邸跡です。今は「しる幸」という料亭になっています。

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古高俊太郎というのは、池田屋事件のきっかけになった人物です。元々は長州の倒幕派志士で、名前を喜右衛門と偽ってスパイのような活動をしていました。新選組に捕えられ拷問にかけられ、8月18日の政変で京都を追われた長州勢らによる京都御所の焼き討ち計画を自白するに至りました。

この計画を阻止するために、倒幕派志士たちが密議を行っていた池田屋に近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の新選組4名が踏み込んで、池田屋事件が起こりました。

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ここで気になったのが石碑と案内文です。「勤王志士」と書かれています。どうもこの文言には私は違和感を覚えずにはいられませんでした。当時の孝明天皇の信頼の厚さからいえば、倒幕派の浪人たちから治安を守る京都守護職すなわち会津藩の方がまさに勤王だったはずです。倒幕派=勤王志士という発想は薩長側のものの見方で、ちょっと一方的な気がします。
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