勝海舟・西郷隆盛会見の地 [幕末維新]
勝海舟と西郷隆盛の会見は、幕末の一コマとして知られていますが、その場所は意外と知られていないかも知れません。
東京のJR田町駅の少し北、現在の三菱自動車本社あたりが、その場所です。当時は薩摩藩の屋敷があり、そこで1868年の3月に、両者の会見が行われました。この会見により、新政府軍による江戸城総攻撃が中止となり、江戸は戦火に包まれるのを免れることになりました。
現地には石碑があります。石碑の下には、案内板も埋め込まれています。
石碑には西郷吉之助書とありますが、本当に本人の書なのか、何となく疑問もあります。
西郷は1877年(明治10年)の西南戦争で亡くなっていますから、本人が書いたとすれば、会見後の10年の間ということになります。そもそもこの時期に、この会見の地に記念碑の類を建てることが想定されていたのかどうか、という点が少々疑問です。私が知らないだけかも知れませんが。
東京のJR田町駅の少し北、現在の三菱自動車本社あたりが、その場所です。当時は薩摩藩の屋敷があり、そこで1868年の3月に、両者の会見が行われました。この会見により、新政府軍による江戸城総攻撃が中止となり、江戸は戦火に包まれるのを免れることになりました。
現地には石碑があります。石碑の下には、案内板も埋め込まれています。
石碑には西郷吉之助書とありますが、本当に本人の書なのか、何となく疑問もあります。
西郷は1877年(明治10年)の西南戦争で亡くなっていますから、本人が書いたとすれば、会見後の10年の間ということになります。そもそもこの時期に、この会見の地に記念碑の類を建てることが想定されていたのかどうか、という点が少々疑問です。私が知らないだけかも知れませんが。
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