オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 32.宿で会った日本人 [オランダ]
宿へ戻ったら、パリ在住の日本人がいました。秋田出身の美容師の人でした。見た目は20代~30歳前後だったか?この数週間後一旦日本に戻り、今度はアムステルダムで働くという話でした。行動のエネルギーがすごい人でした。
この人とは翌日の朝食もご一緒しました。今回は仕事でアムステルダムへ来ていたようで、朝食の後は6時までアムステルダムで仕事をして、6時半にはドイツへ出発するという話でした。確かドイツでも仕事だったようです。
パリやヨーロッパの話も色々聞けました。当時の話ではありますが、こんな感じでした。
・アムステルダムは物価が高い。パリの方が安い。バックパッカーもだいたいオランダは一日で通過してしまう。
・ヨーロッパの長距離バスは鉄道の約半額。ブリュッセル経由が多い。
・現金を沢山持っていると危ない。パリでナイフを突き付けられ、両手両足身ぐるみはがされたことがあった。
・パリの店は日曜にはほぼ全部閉まってしまう。営業するためには従業員に割増賃金を払い、税金もかなり払わなければならず、経営者は割に合わない。
・パリは店丸ごとバカンスで休んでしまうこともある。
・その代わり給料は安いようで、30歳で2000ユーロもらっている人は滅多にいない。所得税も高い。
・パリはゴミの分別をまともにやっていない。
・ヨーロッパでは、夏時間から冬時間(標準時間)への切り替えは何の問題もなく行われている。
偶然出会った日本人でしたが、外国の旅先で日本人に会うと、それまで無意識に持ち続けていた緊張感がふっと和らいで、安心した気分になれます。
この人とは翌日の朝食もご一緒しました。今回は仕事でアムステルダムへ来ていたようで、朝食の後は6時までアムステルダムで仕事をして、6時半にはドイツへ出発するという話でした。確かドイツでも仕事だったようです。
パリやヨーロッパの話も色々聞けました。当時の話ではありますが、こんな感じでした。
・アムステルダムは物価が高い。パリの方が安い。バックパッカーもだいたいオランダは一日で通過してしまう。
・ヨーロッパの長距離バスは鉄道の約半額。ブリュッセル経由が多い。
・現金を沢山持っていると危ない。パリでナイフを突き付けられ、両手両足身ぐるみはがされたことがあった。
・パリの店は日曜にはほぼ全部閉まってしまう。営業するためには従業員に割増賃金を払い、税金もかなり払わなければならず、経営者は割に合わない。
・パリは店丸ごとバカンスで休んでしまうこともある。
・その代わり給料は安いようで、30歳で2000ユーロもらっている人は滅多にいない。所得税も高い。
・パリはゴミの分別をまともにやっていない。
・ヨーロッパでは、夏時間から冬時間(標準時間)への切り替えは何の問題もなく行われている。
偶然出会った日本人でしたが、外国の旅先で日本人に会うと、それまで無意識に持ち続けていた緊張感がふっと和らいで、安心した気分になれます。
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 31.オランダ料理 [オランダ]
ライデンから電車でアムステルダムへ戻りました。駅の表示はオランダ語のみでしたが、どうも10分遅れの様子でした。アナウンスもオランダ語のみでしたが、結局6分遅れでインターシティに乗れました。しかし満席。途中で何とか座れました。そしてアムステルダムに着いた時には、遅れも解消されていました。
夕食は、アムステルダムのライツェ広場近くで偶然見つけた、The Pantry という店に入りました。ここは英語や他の言語のメニュー表がありました。私はヒュッツポットというオランダ料理を注文。
マッシュポテトの中にニンジンが混ざったものが3玉、その上に肉団子に似た見かけのものがのっています。出てきた時はかなりボリュームがありそうに見えましたが、食べてみるとそれほどでもなく、普通に食べきることができました。
宿へ帰る途中、ライツェ広場近くの細川という日本料理の店の近くだったと思いますが、地面でチェスをやっている人がいました。
夕食は、アムステルダムのライツェ広場近くで偶然見つけた、The Pantry という店に入りました。ここは英語や他の言語のメニュー表がありました。私はヒュッツポットというオランダ料理を注文。
マッシュポテトの中にニンジンが混ざったものが3玉、その上に肉団子に似た見かけのものがのっています。出てきた時はかなりボリュームがありそうに見えましたが、食べてみるとそれほどでもなく、普通に食べきることができました。
宿へ帰る途中、ライツェ広場近くの細川という日本料理の店の近くだったと思いますが、地面でチェスをやっている人がいました。
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オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 30.市立風車博物館 [オランダ]
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 29.ライデンの風景 [オランダ]
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 28.レンブラント生誕の地 [オランダ]
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 27.シーボルトハウス [オランダ]
ライデンに来たら、絶対に外してはならない場所。シーボルトハウスに来ました。ライデン大学から徒歩ですぐです。
ここは、1830年に日本から帰国したシーボルトが最初に住んだ家です。看板には日本語が。
パンフレットも日本語のものがあります。映像コーナーでは、音声が英語、オランダ語、そして日本語から選べます。
ここには、シーボルトが日本で書き写した動植物の精細な図など文献資料や、日本から持ち帰った工芸品、美術品、日用品など、色々な分野にまたがる膨大な量の展示物があります。よくこれだけ持ち帰ったものだと、本当に感心します。日本でも当時の物品がこれだけきちんと残っている場所はそうそうないのではと思います。私は結局、ここで2時間近くを費やしました。
こちらは地下室です。デルフト焼のタイルが使われています。
裏庭にはシーボルトの銅像もあります。壁の向こうは隣の敷地ですが。
ここは、1830年に日本から帰国したシーボルトが最初に住んだ家です。看板には日本語が。
パンフレットも日本語のものがあります。映像コーナーでは、音声が英語、オランダ語、そして日本語から選べます。
ここには、シーボルトが日本で書き写した動植物の精細な図など文献資料や、日本から持ち帰った工芸品、美術品、日用品など、色々な分野にまたがる膨大な量の展示物があります。よくこれだけ持ち帰ったものだと、本当に感心します。日本でも当時の物品がこれだけきちんと残っている場所はそうそうないのではと思います。私は結局、ここで2時間近くを費やしました。
こちらは地下室です。デルフト焼のタイルが使われています。
裏庭にはシーボルトの銅像もあります。壁の向こうは隣の敷地ですが。
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 26.松尾芭蕉 [オランダ]
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 25.ライデン大学付属植物園 [オランダ]
大学の敷地内にあり、一般の人も入れます。
ここは1587年に当初医学部の薬草園として造られた、ヨーロッパ最古の植物園だそうです。
植物園の真ん中あたりには、日本庭園があります。シーボルトを記念したものらしく、シーボルトの像もあります。シーボルトが日本から持ち帰った植物が数多く植えられています。
こんな日本語表示のある植物も。
ケヤキの木は大きく育っていました。
日本のケヤキと違って、枝を剪定していないため、根元から大きく枝分かれしています。
トチノキもありました。
写真を撮り損ねましたが、出口近くの植え込みの脇に野良猫がいて、指を差し出したら、いきなり爪で引っ掻かれました。見た目は日本の猫と殆ど同じですが、体が一回り大きく、気も強そうです。
ここは1587年に当初医学部の薬草園として造られた、ヨーロッパ最古の植物園だそうです。
植物園の真ん中あたりには、日本庭園があります。シーボルトを記念したものらしく、シーボルトの像もあります。シーボルトが日本から持ち帰った植物が数多く植えられています。
こんな日本語表示のある植物も。
ケヤキの木は大きく育っていました。
日本のケヤキと違って、枝を剪定していないため、根元から大きく枝分かれしています。
トチノキもありました。
写真を撮り損ねましたが、出口近くの植え込みの脇に野良猫がいて、指を差し出したら、いきなり爪で引っ掻かれました。見た目は日本の猫と殆ど同じですが、体が一回り大きく、気も強そうです。
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 24.ライデン大学へ [オランダ]
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 23.ライデンの城壁 [オランダ]
ライデン市街のど真ん中にある城壁にも寄り道してみました。ここは「地球の歩き方」では一切触れられておらず、他のガイドブックにかろうじて載っていました。ライデンで最古の建造物だそうです。
城壁は円形をしていて、周囲より高い場所にあります。これは人工的に作られた丘のようです。案内板にはビュルフト(De Burcht)と書いてありますが、要塞という意味らしいです。
ここは1573~74年のスペインとの独立戦争の舞台にもなった場所らしく、当時のライデン市民はここに1年間も籠城したそうです。私は何も知らずに偶然立ち寄っていました。
城壁の隣には図書館がありました。ここにも入ってみました。外国の公共施設に入るのも、実は私の旅の楽しみの一つです。
残念ながら写真を取り損ねましたが、中ではCDの貸出も行っていました。学習用の机も多少置かれていました。
城壁は円形をしていて、周囲より高い場所にあります。これは人工的に作られた丘のようです。案内板にはビュルフト(De Burcht)と書いてありますが、要塞という意味らしいです。
ここは1573~74年のスペインとの独立戦争の舞台にもなった場所らしく、当時のライデン市民はここに1年間も籠城したそうです。私は何も知らずに偶然立ち寄っていました。
城壁の隣には図書館がありました。ここにも入ってみました。外国の公共施設に入るのも、実は私の旅の楽しみの一つです。
残念ながら写真を取り損ねましたが、中ではCDの貸出も行っていました。学習用の机も多少置かれていました。