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碓氷関所跡 [歴史]

群馬県の松井田町にあります。信越線の終点・横川駅から徒歩10分かからないのではと思います。中山道の関所です。門は復元されたようです。

横川まで峠の釜めしを食べに来る人は割と多いかと思いますが、この関所跡まで足を伸ばす人は多分少ないと思います。私が行った時も、観光客の姿は殆どありませんでした。かなりの穴場です。

碓氷関所跡 1 碓氷関所跡 2
碓氷関所跡 案内文
タグ:碓氷 関所
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設楽原古戦場 [歴史]

戦国時代、長篠の戦いの舞台となった場所です。愛知県東部の新城市にあります。

長篠の戦いは、武田勝頼の騎馬隊を織田・徳川連合軍の鉄砲隊が迎え撃ち、武田軍が敗走したことで知られています。その鉄砲隊が配置された馬防柵が、現地に再現されています。

ただ、この馬防柵を使って鉄砲の三段撃ちが本当に行われたのかは、定かではありません。馬防柵は要害として利用され、鉄砲は三段撃ちではなく一斉射撃を行っていたのではという説もあります。

近くには設楽原歴史資料館もあります。そこからも徒歩圏内です。

http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/1,3106,118,662,html

設楽原古戦場 1
設楽原古戦場 2
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浅野内匠頭終焉の地 [歴史]

忠臣蔵で有名な浅野内匠頭が、江戸城松の廊下での刃傷沙汰ののち預けられた、田村右京太夫の屋敷のあった場所です。東京の新橋4丁目、日比谷通り沿いにあります。

かつては立派な石碑が建っていたようですが、道路の新設工事に伴い、一時的に撤去されているようです。現地で探し回ってもなかなか見つからないので変だと思ったら、こういうことでした。

浅野内匠頭終焉の地 1

石碑があった頃の写真が現地の道路のガードレールにかかっていました。

浅野内匠頭終焉の地 2
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南町奉行所跡 [歴史]

テレビの時代劇などでおなじみの南町奉行所。しかしそれがどこにあったのかは、知っている人はそう多くないのでは?

私も知らなかったのですが、実は意外な場所にありました。東京の有楽町駅から東側、有楽町マリオンの北側一帯です。

わかりにくいですが、有楽町の駅前にもプレートがあります。東京都指定旧跡になっています。大岡越前守忠相もここにいたようです。

南町奉行所跡 1
南町奉行所跡 2
南町奉行所跡 3

商店の一角にも、こんな案内板がありました。

有楽町・銀座
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府中高札場 [歴史]

東京・府中市の旧甲州街道と府中街道の交差点にあります。東京都指定旧跡になっています。

高札場というのは、江戸時代に幕府や藩の通達を一般庶民に伝える、掲示板のようなものでした。ここ以外にも、全国各地に残されている所は結構あるのではと思います。

この府中の場合の特筆すべき点は、それが市街地のど真ん中に現存しているということでしょう。きっと色々な人たちの尽力があってのことだろうと思います。江戸幕府の終焉から140年余り、田舎でさえもなかなか残っていない貴重な文化財です。

http://www.city.fuchu.tokyo.jp/tanoshimu/kanko/supotto/kousatuba/index.html

府中高札場 1
府中高札場 2
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熊本藩下屋敷跡 [歴史]

東京の泉岳寺から徒歩圏内にありますが、知る人ぞ知る史跡です。「大石良雄外十六人忠烈の跡」として、東京都指定旧跡になっていますが、忠臣蔵のファンでもここまで足を伸ばす人は果たしてどれくらいいるものか?

場所は港区高輪の高松宮邸の西側、都営高輪一丁目アパートの北側にあります。江戸時代は高松宮邸も含め、この付近一帯が熊本藩の下屋敷だったと思われます。

周辺には何の案内板もありませんが、アパートの敷地の北側中央のはずれに門だけがあります。門には鍵がかかっていて中には入れません。門の周辺は空地になっていますが、こちらも立ち入ることはできません。なぜ空地になっているのかはよくわかりません。

吉良邸に討ち入った赤穂浪士たちは、四つの藩にその身柄を引き渡されましたが、大石内蔵助を含む17人は、この熊本藩細川家下屋敷に預けられ、ここで切腹しました。切腹が申し渡されるまでの約1ヶ月半、かなり丁重な待遇を受けていたようです。

熊本藩下屋敷跡

大石良雄外十六人忠烈の跡
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東海道 御油の松並木 [歴史]

愛知県豊川市にある旧道です。江戸時代の東海道の雰囲気を今も残しています。名鉄の御油駅と名電赤坂駅の間に続く松並木です。御油駅周辺は、かつては宿場町でもありました。

現在の国道1号線はこの旧道と並行して別に造られていますので、こちらの本物の東海道は交通量も少なく、歩道はありませんが散歩もできます。真ん中の路面は舗装されていますが、両脇の松並木は昔の風情そのままといってもよいのではと思います。

何本かは植え替えられたりしているかも知れませんが、しかしよくこれだけたくさん枯れずに残っているなと思います。実に貴重です。

御油の松並木
東海道五十三次 御油
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名古屋の堀川 [歴史]

以前名古屋に行った時に、堀川の五条橋近辺を歩いたことがあります。四間道と呼ばれる通り一帯です。わざわざ遠くから見に行くほどではありませんが、わずかながら古い街並みが残っています。地名でいうと、西区の那古野周辺ですね。名古屋駅と丸の内に挟まれた地域です。

五条橋も実は現地へ行くまで知らなかったのですが、江戸時代から名前の残っている橋のようで、案内文もありました(写真に撮ったら文章の端が少し切れてしまいました)。

名古屋 五条橋
名古屋 五条橋 案内文

橋から見た川の様子はこんな感じです。緑もありますね。

名古屋 堀川

橋の近くの路地には、こんな家並みもありました。正面からの写真ではないので見にくいですが、軒先に吊るされた植物は、竹筒をくりぬいたものに植えられているようです。現代建築ではなく歳月を重ねた木造建築だからこそ、ぴったりくる風景です。素晴らしい!

那古野 民家1

また、昔はこういうのもたくさんあったと思いますが、最近はめっきり見なくなりましたね。

那古野 民家2
タグ:名古屋
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名古屋 久屋大通 [歴史]

名古屋城と並ぶ名古屋の象徴ともいえる幅100mの道路です。愛知県庁から南へ若宮大通まで、南北に約2キロ続いています。

この写真はちょうど名古屋のど真ん中、栄で撮ったものです。高い塔は名古屋のテレビ塔です。このテレビ塔も含め、緑が広がっている辺りは全部、この久屋大通の中央分離帯です。この両脇に、確か3車線ずつ一方通行の道路があります。

この久屋大通は、太平洋戦争末期の空襲で焼け野原になった名古屋の戦後復興の一環として造られました。また、周辺の道路も全て8m以上の道幅で再整備されました。今だったらとても不可能な一大事業だったと思います。

今では木々が生い茂り、周辺もビルで埋め尽くされ、65年前に街じゅうが破壊されてしまった様子はとても想像することができません。

名古屋 久屋大通
タグ:名古屋 復興
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近江と遠江 [歴史]

ちょっと何気なく気になった旧国名です。

近江国は現在の滋賀県、遠江国は現在の静岡県の大井川以西です。地図を見るとわかりますが、共に大きな湖があります。近江国には琵琶湖、遠江国には浜名湖ですね。

今まで全く気がつかなかったのですが、これは要するに、京都から近い湖が「近江」、遠い湖が「遠江」、ということなのかも知れないと、直感的に思いました。

語源を調べてみたら、やはりそういうことのようでした。元々は近江は近淡海(ちかつあはうみ)、遠江は遠淡海(とおつあはうみ)だったようです。京都の近くにある淡水湖と遠くにある淡水湖ということですね。なかなか歴史は奥が深いです。

遠淡海が厳密に浜名湖を指すのかどうかははっきりしないようですが、浜名湖は500年ほど前の大地震によって太平洋とつながるまでは、淡水湖でした。

余談ですが、遠江はふりがなを振ると「とおとうみ」になるのですね。読み方は知っていましたが、「とおとおみ」なのか「とうとうみ」なのか「とおとうみ」なのか混乱して、何回か漢字変換を間違えました。
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