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市議会議員の選挙が、なぜか一番縁遠い [日常・社会]

先月は統一地方選挙のシーズンでした。私の地域でも県議会と市議会の選挙がありました。

私は今まで選挙を棄権したことは一度もありませんが、公職の選挙のうち、自分の生活に一番身近なはずの市町村議会の選挙が、一番投票に迷います。

なぜ迷うか?

一言でいえば、判断材料が一番乏しいから、ということになります。自分が日頃から市議会の広報紙にもあまり目を通さず、普段意識を向けていないツケが一気に回ってきている、ともいえます。

その自らの努力不足を棚に上げて(苦笑)、迷う背景について更に考えてみました。そして次のようなことが浮かびました。


1.国政や県政ほどには、メディアに議会や議員の動向が取り上げられない。
2.無所属議員に関しては、選挙公報を見ても、現市政の与党なのか野党なのか、立場がよくわからない。
3.現職議員については、選挙公報を見ても、これから先4年間でやりたいことは書いてあっても、過去4年間何をしたのかは、殆ど書いていない。
4.選挙カーは相変わらず「(名前)」と「お願いします」の連呼が大半。
5.候補者の人数が多すぎる。


まず1について。
これは、大手マスメディアもなかなかそこまでローカルなことを拾いきれない、という面と、更には、市町村議会のネタが報道ビジネス上の利潤をあまりもたらさない、という現実があるのかなと思います。

2について。
無所属議員でも、議会内の会派がわかれば、日頃から市議会の広報紙などを見ている人ならば、ある程度判断はつくかも知れません。しかし私の地域の選挙公報の例では、所属会派を書いている候補者は殆どいませんでした。新聞に載った候補者の一覧も、記されていたのは氏名、年齢、職業、所属政党のみでした。

3について。
選挙公報の紙面の都合上、書ける範囲は限られてしまうので、ある程度やむを得ないかなとは思います。しかし有権者の立場からすれば、現職議員が4年間何をしたのかということも、本当にその人が我々の代表としてふさわしいのかどうかを考える上で、大事な判断材料ではないかと思います。

私は候補者のホームページも参考にしましたが、これはこれである意味いくらでも自分で脚色できてしまう要素もありますので、そこは差し引いて考えないといけません。

4について。
これは今回に関しては、自分の理念や政策を訴える選挙カーも、一部ですが出始めました。抽象的な美辞麗句の場合は、殆ど意味はないかも知れませんが。
個人的には、「(名前)」と「お願いします」だけの連呼は、有権者を軽く見ているのではないかなと思えてしまいます。

5について。
政令指定都市などはよくわからないのですが、普通の市町村議会の選挙の場合、市町村が丸ごと一つの選挙区になっていて、その中で何十人もの候補者が存在します。国政選挙や県議会の選挙の場合は、各選挙区の候補者が2桁になることは、極めて稀だと思います。なので市町村議会の選挙よりは、絞り込みやすいと思います。

市町村議会の場合でも、候補者と直接のつながりを持っている人ならば、迷わないと思います。しかし大多数の一般有権者は、そんなコネクションを持っていませんから、数十人の中から一人を選ぶのは、なかなか容易なことではありません(私の地域は40人以上でした・・・)。

私は議員定数の削減に関しては、反対ではありませんが、例えば40人を10人に減らすなど、あまりにドラスティックにやり過ぎると、今度は役所の思うつぼになりかねない恐れもあるので、数さえ減らせばいいという考え方には立っていません。一方で選挙に関しては、もう少し選挙区を分割するなど、何とかならないものかとは思います。


自分の怠慢を棚に上げるのは、一応この程度にしておきます・・・。

今回の私の場合、結局最終的には、自分の身近な生活上の不安や懸念について、同じ意識を持っている候補者はいないか、という観点で、選挙公報や候補者のホームページなどを色々見て、何とか投票に結びつけました。
タグ:選挙
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ワード文書が壊れる [日常・社会]

このブログを書くのに、私はいつもパソコンのワードで下書きをしています。原稿は思いついた時にワードで書いて、それをブログにコピーして掲載する、という感じでいつも作っています。そのワード文書は、USBメモリーに保存しています。

ところが、そのワード文書が、時々突然壊れます。今までも2つか3つ、文書が壊れました。いくつかの原稿を並行して書きかけることが多いのですが、それらがパーになってしまうのは、結構痛いです。

USBに原因があるのか、外部からの攻撃などによるものなのか、何が原因なのか、未だによくわかりません。一応セキュリティソフトはオンラインで入れています。

今までの傾向としては、どうもワード2007で作った文書が壊れるようです。ヘルプをたどっていったり、色々調べると、2007ではなく、ワード2003と互換性のある97-2003の形式で保存した方がいいみたいです。

ところが今度は、97-2003で作った文書で、ある時保存をかけたら、今度は全部文字化けしてしまい、ひらがな・カタカナ・漢字が全てアルファベットになって、全く判読不能になってしまいました。2007で壊れた時と違って、ファイルが開くことは開くのですが、これでは用をなしません。

これはまだ原因も復元方法もわからないのですが、USBメモリー自体に何か問題があるかも知れません。別のUSBメモリーを使うなり、破損を避ける何らかの手段を考えないといけないかも知れません。それにしても謎です。

入試の不正と八百長について考える [日常・社会]

大震災ですっかり忘れ去られている話かと思いますが、今年の受験シーズン、大学入試の試験中に入試問題の一部がネット上に漏えいする、という事件が、京都大学で発覚し、その他同志社大や早稲田大でも同様のケースがあったことがわかりました。

ネット上の「ヤフー知恵袋」に、英語や数学の問題とともにその解答方法を尋ねる内容の質問が書き込まれ、一般のユーザーが入試問題の漏えいとは知らずにそれに答えていた、というものです。入試の不正行為と判断され、山形県の浪人生が逮捕されるに至りました。

インターネットや携帯電話の発達が生んだ不正行為ともいえますが、このような不正は当然許されるものではありません。

ただ、そのことだけに目を奪われてもいけないと私は思います。

私の頭に浮かんだのは、大学の有力者のコネを利用した、いわゆる裏口入学の存在です。

それが現在実際にあるのかないのか、あるとしたらどの程度あるのかは私にはわかりません。

ただ、20年以上前でしょうか、某有名タレントの息子の裏口入学未遂が発覚した際、「私立大学ならやろうと思えばやれてしまう仕組みにどこもなっている」というような専門家の話をテレビで見た記憶があります。

また、某企業にいる某大学の有力者(理事?評議員?)のところに、入学のお礼の挨拶に来ていた人がいたのを見た、という話を私も知人から聞いたことがあります。

大相撲では2月に八百長が発覚し、大きな問題となりました。しかしよくよく考えてみると、もし裏口入学が今も存在するとしたら、これも八百長そのものだと私は思います。

裏で打合せがなされ、事前に双方で結果がわかっていて、しかも時として金銭が介在する、という点は、まさに八百長です。また、大学の関係者を巻き込んだ不正ともなれば、今回の浪人生の試験中の不正よりはるかにタチが悪いと思います。

20年以上前の事件以来、裏口入学が根絶されたのかは全くわかりません。その後マスコミが裏口入学の問題に斬り込んだ記憶も、殆どありません。現実はどうなのでしょうか?

個人的には、有力者のコネによる入学を温存したいのなら、例えば大学関係者推薦枠のようなものを作って、選考基準と定員をはっきり公表すればいいと思います。それができないのなら、やめた方がいいと思います。

一般受験生が試験会場で厳しい監視を受け難問に悪戦苦闘している一方で、陰に隠れたフリーパスがもし今も存在するならば、これは極めて不公平で、真面目に勉強して入試に臨んでいる受験生を馬鹿にした話だと思います。
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病院への恩返し [日常・社会]

本日、私の祖父の7回忌の法要を迎えます。今回残念ながら私は出席できませんが、色々と思い出すこともあります。

祖父は亡くなる前、約半年間入院していました。私は祖父とできるだけ多くの時間を過ごしたい一心で、当時ほぼ毎週、多い時で1日おきくらいで病院に足を運んでいました。

見舞は大抵、夜に30分程病室に顔を出すという感じでした。行ってみると祖父は既に寝てしまっていた時もありました。病室に親戚がノートを置いてくれていて、見舞に来た人間が皆そこに色々祖父の様子を書いていました。いつもそれを読んだり、また自分が顔を出した時に祖父が話したことなどを書いたりしていました。看護師さんが少し様子を教えてくれた時もありました。

そんな感じで足しげく通っていたので、看護師さんにも顔を覚えられるようになりました。

私が行くと、祖父が私に病院から家に連れて帰れと言うことも多く、タイミングを上手く見計らわないとなかなか帰れないような日々の連続で、なかなか大変なことも多い状況でした。1時間以上も帰れないままの時もありました。そんな時は、見かねた看護師さんが祖父の気をうまくそらして、私を逃がしてくれた時もありました。

残念ながら祖父は亡くなりましたが、祖父は生前看護師さんたちに時々ねぎらいや感謝の言葉をかけたりもしていたようです。私も個人的に看護師さんたちには本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

私はその頃、趣味で沖縄三線を弾いていて、三線のサークルの代表をしていました。時々老人ホームなどボランティア演奏に行ったりもしていたのですが、この病院でボランティア演奏をすることを思い立ちました。同居の親族でない自分の立場で、病院への感謝の気持ちを形にするなら、これが一番いいだろうとも思いました。

普段出張演奏をする時は、たいてい何らかの伝手で相手先からオファーがあるのですが、この時だけは、自分から病院に電話をしました。なじみの看護師さんに電話をつないでもらったような記憶が何となくありますが、とても喜んでくれました。病院側もそういうボランティアを受け入れる体制を既に持っていて、話は割と早かったです。

演奏したのは、祖父が亡くなって半年くらい後だったかと思います。患者さんのみならず普段忙しい看護師さんにも少しでも楽しんでもらえたらと思いながら、自分からのお礼と、祖父になりかわってのお礼と、二つの気持ちを込めて演奏しました。

あくまで自分のためにやったことなので、この話は今まで身内も含め、殆ど人に話したことがないと思います。しかし7回忌を迎えるにあたり、一つの思い出として、そろそろ明らかにしてもよいかなと思いました。
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洗面所から異臭 [日常・社会]

どうもここ最近、自宅の洗面所の排水口から異臭がします。しかも大便のような臭いです。

排水パイプはU字型になっているので、下水の臭いがそのまま上がってくることは考えられません。パイプ周辺も臭いません。蛇口の下の排水口の上に立つと臭います。

隣のトイレの排水が流れ込んでくるわけでもなく、またトイレは全く臭いません。

パイプ洗浄用の液体を注入したのですが、まだ臭います。今度は別の種類の酵素の粉末を毎晩かけていますが、まだ臭いが消えないですね。厄介です。

パイプを一旦外して中をきれいにするしかないのかも知れませんが、できれば外さずに何とかしたいところです。とにかく謎です。
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クレーマーは果たして幸せか? [日常・社会]

近年、クレーマーの存在があちこちで取り沙汰され、社会問題化するようになりました。顕著になったのは、特にここ10年くらいでしょうか。ビジネスの世界でも、外部のクレーマー対策に悩まされている職場は少なくないと思います。

ところでふと思うのですが、クレーマーというのは、普段幸せな人生を送っているのでしょうか。

どうも私は、そういう人たちは、その潜在的な部分で、何か心が満たされていないのではないかという気がしてなりません。

本人からしたら、権利意識が高くて、主張すべきは主張するのだという、一種の正義感のようなものに駆られてのことかも知れません。確かに、泣き寝入りはよくないと私も思います。

しかしそれは一方で、程度の問題ではないかとも思います。何でもかんでもクレームを申し立てるのは、不平不満をただ単に他人にぶつけているだけではないのか、と世間に思われても仕方がないようにも思います。

そういう人たちというのは、多分そのクレームが通って、自分の思い通りになったとしても、それで本当に満足はできないのではないかとも思います。しばらくするとまた他にクレームの種を見つけて、その改善・解決を他人に要求する行動に出るのでは、という気がしてなりません。

要するに、その本人の日常生活の中で、心の充足感が慢性的に欠乏していて、クレーム行為はそれを埋め合わせるための行動なのではないか?

でもそれでは本人の抱える心の根本的な問題は解決されるはずもありません。その心の問題というのは、人それぞれ千差万別だと思うので、具体的な解決策は私にもわかりませんが、どうもそんな気がして仕方ないです。

私は心の専門家ではないので、これはあくまで推測ですが、人からの愛情をあまり受けていない、褒められていない、認められていない、そういった何か満たされていないものが、潜在的にあるのかも知れません。とにかく何らかの理由で、心の寛容さを失っているのだろうと思います。少なくとも、その人の持って生まれた性格の問題ではないような気がします。

あなたの周囲に、そんな存在の人は思い当たりませんか?
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女性専用車両について考える [日常・社会]

ここ数年、首都圏の電車などでよく見られるようになった、女性専用車両。そもそもは女性の痴漢被害を何とかしなければということで、導入が相次いだようです。一番端の車両1両が、女性専用車両になっているケースが多いですね。

この女性専用車両は、終日女性専用というわけではなくて、朝の通勤時間帯に限って女性専用となっています。時間帯は駅や路線によって微妙に異なりますが、おおよそ9時半前後までが女性専用になっているようです。

私は以前、9時過ぎにうっかり女性専用車両に乗ってしまったことがあります。かなり空いていたこともあり、全く気がつかないまま乗って間もなく、吊り革につかまって立っていたら、隣の人が「ここは女性専用車両ですよ」と小さくささやいて教えてくれたことがありました。

あわてる私に、「次の駅で隣の車両に移ればいいですよ」とその方は言ってくれたのですが、針のむしろに座らされているような気分で、すぐに隣の車両に急いで移りました。でも黙って冷たい視線を浴び続けるより、そうやってすぐ教えてくれた人がいたのは、本当にありがたいと思いました。

私は、女性専用車両については、賛成です。一つのアイディアだと思います。ただ、ここでもう一つ提案したいです。

男性専用車両も作ってほしいです!

女性の痴漢被害の一方で、最近では一部で誤認による冤罪も発生しているようです。映画のテーマになったりもしています。女性の痴漢被害の件数とはとても比較にはならないでしょうが、誤認逮捕によって職を失い家族も苦しみ、裁判も長期にわたり、人生が狂ってしまった人の例を、テレビでも見たことがあります。

そもそも一番悪いのは、痴漢行為をする人間であり、また通勤電車を50年以上もこのようなすし詰め状態のままにしている鉄道会社、行政、国土政策なのだろうと思いますが、それはさておき、最近は女性だけでなく、このような犯罪行為とは無縁の男性にとっても、リスクは高まっていると思います。

痴漢行為の加害者と疑われないために、女性のいる側には絶対手を向けないとか、第三者にも見える位置に手を持っていくとか、男性自身の自己防衛も何かしら必要になってきていると感じます。

男性専用車両があれば、そういったリスクから自分の身を守ることができ、男性側としても安心だろうと思います。

10両以上の長い編成の電車であれば、女性専用車両、男性専用車両とも、朝は2両ずつくらいあってもよいのではと私は思います。

<余談>
私の知人の知人(男性)で、電車で男に体を触られたという話を又聞きしたことがありますが、そこまで話を広げると収拾がつかないので、ここではやめておきます。
タグ:電車
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おおらかだった時代 [日常・社会]

あまり後ろ向きになるのもよくないですが、最近は世間も職場も、せっかちでピリピリして余裕のない環境が増えているような気がします。周囲の友人からも、そういう実例をしばしば耳にします。

それにひきかえ昔はよかった、などと単純に言いたくもないですが、今だったら大問題になりかねないことでも、笑って済ませられたことが色々多かったような気がします。

ふと高校時代のことを少し思い出しました。

私の通った高校は、伝統的に自由な校風で、一応学生服は着ていましたが明文化された校則はなく、教師も生徒のことをある程度信頼してくれていました。教師自身が、「この学校は生徒指導(の必要)がないので、教師にとっては授業に専念できてすごくやりやすい」と授業中に言っていたくらいでしたから(学習面に関してはどの授業も必ず生徒から質問が来るので大変だったろうと思いますが)。

私は高校時代、とある運動部に所属していたのですが、放課後練習が終わった後、よく部室で紙麻雀をやっていました。牌だとさすがに音で外にばれるので、紙でやっていましたね。

ある時、体育教師が巡回で突然部室に入ってきたことがありました。しかもちょうど紙麻雀をやっている最中でした。

これはマズいことになったと、一同思いました。ところが、その体育教師の発した言葉は・・・。

「お前ら、麻雀っていうのはな、先をしっかり読まなきゃダメなんだよ。俺たちが見回りに来るかどうかも、ちゃんと読まなきゃダメじゃないか。どれ、ちょっと牌を見せてみろ。ん?安い手を作りやがって!」

紙麻雀を取り上げられたかどうかは覚えていませんが、そんな感じで思わず一同苦笑いしてしまうようなやり取りでした。今思い起こせば、すごくひねりの効いた対応で、改めて勉強になります(苦笑)。

また、私の部にはいませんでしたが、たばこを吸っている生徒もごく少数ですがいました。応援団に多かったかな?時々彼らが放課後に教室で吸っているのを、私も見たことがあります。

で、確か教頭が放課後に校内を見回りに来て、彼らの喫煙が見つかったことがありました。ところが、その教頭の対応は・・・。

何と、一旦教頭はいなくなり、しばらくしてその教室にバケツを片手に再び現れ、「この中に吸殻をちゃんと捨てておけ」と言って、バケツを置いて去っていったそうです。

その話を友達から聞いた時、予想外の展開に唖然としたと同時に、何と懐の深い教頭だろうと、度肝を抜かれた思いがしました。どういう考えでその教頭がそういう行動を取ったのかは、正確には知るすべもありませんが、ともかく私の学生時代にはそういう教師がいました。

こんな話は今考えれば、もし教育委員会や世間にばれたら、その教頭の責任も問われかねないレベルの話です。未成年の喫煙は違法行為でありいけないことなのは誰もが百も承知ですが、その上でそういう対応の取れる教頭に、得体の知れぬ器の大きさを感じてしまいました。

また、当時もしこれが保護者たちに知れたとしても、クレームの嵐になったりマスコミに知れたり、という可能性はまずなかっただろうなと、あの当時の母校を取り巻く雰囲気を思い起こせば、そう思います。
タグ:高校 麻雀 教師
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クリック募金サイト [日常・社会]

偶然見つけたサイトです。大手企業11社を通じて募金ができます。他にもこの種のサイトはきっと色々あると思いますが。

こういう募金の類は、できることから少しずつ、というのが基本かと思います。

このサイトは1クリック1円ですので、1人が貢献できる効果としては微々たるものではありますが、クリックするだけで募金できるのなら、ハードルは極めて低いと思います。また、繰り返し続ければ、「塵も積もれば山となる」で、そこそこの額にはなるかと思います。

いちいち一つずつクリックするのは面倒くさいと思う人もいるかも知れませんが、このような仕組みを最初に作った人たちには、敬意を表したいと思います。

http://www.dff.jp/
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「あけおめ」「ことよろ」はそのうち死語になる? [日常・社会]

仕事始めから約1週間、新年も一服した頃でしょうか。

さて、これらの言葉は私自身は使ったことがないのですが、まあともかく、10年後くらいに検証できたらと思っています。子供の頃から使い慣れている人が多いようであれば、意外と生き残っているかも知れませんが。

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