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卒業制作 [日常・社会]

卒業制作というと大げさですが、小学校時代に卒業生全員で花壇のブロックを作りました。今も母校にあります。

卒業を記念して、新しく花壇をつくるということで、6年生にブロックが一つずつ渡されて、そこに自由に絵を描く、という課題でした。

私は絵を描くのが苦手でしたが、この時はすんなりアイディアが浮かんだような気がします。クラスの友達2人を巻き込んで、3人で1つの作品に仕上げました。

私の通った小学校では、6年生は毎年運動会で組体操をしていました。それをテーマに選びました。写真では、上の段の3枚のブロックです。

卒業制作

ただ、この3枚のブロックのうち、どれを自分が書いたのかは、思い出せません。また、誰と一緒にやったかも思い出せません。名前を書いておけばよかった・・・。ただし、下書きは3枚とも私がやったような気がします。

使った色は白、黒、茶、水色、肌色の5色のみ、芸術的センスも全く不要の作品で、実に手抜きですが、我ながらなかなかよくできたと思います。しかも3枚で1つの作品なので、探してもすぐ見つかります。
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「号泣」にみる違和感 [日常・社会]

最近、テレビや報道の見出しで「号泣」という単語をしばしば見かけます。

でも実際にその映像や写真を見る限り、「号泣」をしていることは滅多にありません。大抵は「涙を流している」だけです。

「号泣」を広辞苑で調べてみると、「大声をあげて泣くこと」とあります。ただ単に涙を流しているのとは、明らかに違います。

我々が映像上で実際に号泣の場面を目撃できるのは、せいぜいドラマの一場面かどこかの外国の報道程度だろうと思います。

恐らくは、「泣いている」ということを短い字数制限の中で表現するために、「号泣」が使われているのかもと想像しますが、しかし言葉で飯を食っている人たちが、言葉の誤用を何度も繰り返すというのは、果たしてそれでいいのだろうか、という気が私はしています。

言葉の意味というのは、時代と共に少しずつ変化していくものではありますが、しかし本来言葉の意味を一般人以上にきちんと理解し、自分の言葉に人一倍責任を持たなければいけないはずの、言葉の使い手のプロによって、その変化が生み出されるとしたら、それはちょっと違うのではないかなと、私は思います。

そこで対案。「号泣」の部分は一言「涙」と置き換えてみてはどうか?インパクトに欠けるという意見はあるかも知れませんが、私はこれで十分だと思います。
タグ:報道
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<自動車保険の落とし穴> もらい事故で全損の場合、自腹発生の可能性 [日常・社会]

10年以上前になりますが、もらい事故によって、自分の車が全損になる経験をしました。事故直後からエンジンがかからなくなり、損傷も激しく、結局廃車になりました。

●状況
所有車:全損 元々中古で購入 かなり年数が経っていた
保険会社の査定価格:30万円台
事故の過失割合:当方0%

全損の場合、その車のその時点での資産価値を保険会社が算定します。本人がその車をいくらで購入したかは、全く考慮に入りません。

その価値というのは、新車の時点から年数が経過するほど、下がっていきます。固定資産の残存簿価と似たような概念かと思います。

そして原則として、その算定価格から自分の過失割合を差し引いた額が、相手の保険会社から自分に支払われることになります。

ここで問題なのは、その相手の保険会社から支払われる金額では、今まで自分が乗っていた車と同レベルの車は買えない、ということです。たとえ自分の過失割合が0だったとしても、同様です。

単純に考えても、自動車販売業者は車の価値に利益を乗せて売りますから、同レベルの車を探そうと思っても、保険会社の算定価格よりは明らかに高くなります。

私の場合は、同レベルの車を探そうと思っても、まず50万を下回ることはありませんでした。もらい事故で突然多額の出費を迫られるような状況に直面したわけです。人によっては、もっと高額の費用が必要になる場合もあるでしょう。

もう一つ付け加えるならば、車が物理的に修理可能であっても、保険会社が判断する修理費の額より、車の価値の算定価格が低ければ、これは全損と判定され、相手方の保険会社はその算定価格の金額しか支払ってくれません。

例えば、修理に50万円かかるとして、しかし車の価値が30万しかなかったら、相手方の保険会社は30万しか支払わない、という話です。愛着のある車だから修理して乗り続けたいと思っても、そういう処理をされてしまいます。

その当時自分が、自動車保険で車両保険を付帯していたかどうか、ちょっと記憶がはっきりしませんが、車両保険がないとなると、物損に対して自分の保険会社からお金が出ないので、更に厳しい状況に追い込まれます。

だから、事故は起こさないに越したことはない、という話になります。また車両保険も、あまりに年式が古い車だと、保険会社によっては車両保険を設定できない場合もあるようですので、注意が必要です。

●結論
事故は起こさないに限る。しかし防げない事故もある。全損事故や自損事故に備えて、車両保険も検討の余地あり。
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<自動車保険の落とし穴> 自分の過失0の場合は要注意 [日常・社会]

もう10年以上前の話になりますが、大きな自動車事故の経験をしました。

●状況
日時及び天候:休日夜中 風雨
場所:川の堤防上の道路(片道1車線、追越禁止) 当方上り坂 右カーブの手前
状況:対向車が下り坂のカーブを曲がり切れず、スリップして横向きになり、センターラインオーバーをしてきて、対向車側面と当方の車右前方部が衝突。
当方被害:普通乗用車全損 頸椎捻挫
相手方被害:ワゴン車側面損傷 身体負傷なし
過失割合:相手方過失100%

わずか1秒か2秒のことでしたが、「おいおいおい!」と思っているうちに相手が突っ込んできました。完全に前方をふさがれてしまい、とっさにブレーキは踏みましたが、逃げようがありませんでした。ぶつかるまでの数秒の間、まばたきもせず、あっという間に相手の車が目の前に来た、という感じでした。

こちらは上り坂の途中で速度が落ちていたことが多少幸いしたと思いますが、近年の車はよくできているもので、ボンネットの部分で衝撃がかなり吸収され、車の室内は特に大きな損傷はなく、足が挟まれたりもせずに済みました。

ただ、運転席のドアは開かず、エンジンもかからなくなってしまいました。私の身体は5分もたたないうちに右肩と首筋に張りと鈍痛が出てきました。一種のむち打ち症状ですね。

堤防上ですから、周囲に民家も公衆電話もなく、しかも風雨も強さを増すばかりで、さした傘(500円の安物でしたが)の骨が曲がってしまうほどでした。当時携帯電話を数ヶ月前に新規契約したばかりでしたので、この時は携帯のありがたみを感じました。

ぶつかってきた相手がもたもたしていたので、私が警察に電話して、40分以上経過して現場に警察が到着したでしょうか。保険会社にも当然連絡しました。車が動かないので警察の調査後レッカー移動も自分で呼びました。携帯がなかったら本当に大変でした。

走行している車同士の事故の場合、通常は双方に過失ありと判断され、過失割合が100:0になることはないらしいですが、私の場合は状況が状況でしたので、私の過失は0と判断されました。

ただ困ったのは、過失0の場合は原則として、自分の保険会社は相手との間に入ってはくれない、ということです。過失が少しでもあれば、双方の保険会社同士での話になるのですが、私の場合は相手の保険会社と自分が直接話をしなければいけませんでした。相手が任意保険に加入していないと、更に厄介なことになります。

この事故に懲りて、翌年以降私は、自動車保険に弁護士費用補償特約を付けるようになりました。ただ、これも保険会社によっては、人身と物損の両方をカバーするものと、人身のみこの特約が使える場合とあるようなので、注意が必要です。

●結論
自分の過失割合が0の場合は、自分が直接相手方と交渉しなければならず、手間と精神的ストレスがかかる。車をよく利用する人は、もらい事故に備えて、弁護士費用補償特約も検討してみるとよい。
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振替輸送の落とし穴 [日常・社会]

鉄道の「振替輸送」をご存知ですか?

大都市圏の鉄道各線では、ある路線で何らかのトラブルによる運転停止などの状況が長く続く場合は、鉄道会社同士が融通を効かせ、希望する乗客には近隣の別路線への迂回を認め、なおかつ乗客からは迂回に伴う新たな運賃は徴収しない、という「振替輸送」の措置が取られます。

最近は人身事故や、あるいは強風、濃霧、豪雨などの悪天候、信号故障などの技術的トラブルなどにより、振替輸送が頻繁に発生しています。

私も先日、某地下鉄で信号トラブルの直撃を受け、他の路線に迂回せざるを得なくなりました。

ところが、この振替輸送には、意外な落とし穴がありました。

私はこの時、ICカード(JR東日本のスイカ)で乗車していたのですが、改札口の駅員に尋ねたところ、

「振替輸送の対象となるのは、定期券・乗車券(=紙の乗車券)・回数券のみで、ICカードは対象とならない」
という話でした。

ICカードは、駅でいちいち切符を購入しなくても、自動改札機にかざせばすぐ入場でき、とても便利です。また移動中に寄り道したくなって行き先を変えても、いちいち切符の精算をすることなく、出口の自動改札機にかざせば普通に出られたりもします。大都市圏で日常的に鉄道を利用する人なら、殆ど持っているだろうと思います。東京だとスイカやパスモ、東海地方ならトイカ、関西ならイコカなど、色々ありますね。

そのICカードが、振替輸送のような不測の事態には、対応が効かない、ということを、今回初めて知りました。

自腹を切らざるを得ない状況とはいえ、電車が途中の駅で停車したまま、一向に運行再開の見通しが立たないため、改札を出て最寄りの他路線の駅に移動することにしました。

そして、徒歩20分、バス停3つ分の距離を小走りで移動し、何とか別の路線に乗ることができました。目的地に着いたのは、結局予定時刻より1時間も後でした。

なお、この日の信号トラブルは、復旧までに8時間かかりました。

振替輸送
タグ:鉄道
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facebook [日常・社会]

先日友人に誘われて、アカウント登録しました。

当然のことながら、まだ使いこなし方はわかりません。

実名制が果たして日本に広く受け入れられるか、よくわかりませんが、少なくとも無責任な使い方はできないでしょうね。実名ですので。

アカウント登録の画面を進んでいったら、いきなり別の友人の名前が出てきましたので、友達申請しました。何かそういう設定でもできるのか、よくわからないですが。

建物の階の表現 [日常・社会]

ちょっと英語の勉強をしていたら、建物の階の表し方が出てきました。

アメリカでは1階はfirst floor、2階はsecond floorですが、これがイギリスでは、1階はground floor、2階はfirst floorとなり、以下3階、4階は同様に数字が一つずつ少なく表記される形になります。

確か私の記憶では、オランダでも、エレベーターの表示が3階は「2」、4階は「3」という風になっていたような気がします(違うかな?)。

一方、日本のエレベーターを見ると、アメリカと同様、1階は「1」、2階は「2」となっています。そもそも日本語では、いつから2階を「2階」と表現するようになったのか?

明治の文明開化で西洋文化が大量に入ってくると同時に、日本語に新語も数多く誕生しました。我々が現在日常的に使っている単語の中にも、その頃生まれた造語が実は多く含まれています。建物の階の表し方については、どうなのだろうかと、ちょっと気になりました。

江戸時代までの日本において、一般の民家は白川郷のような特殊な家屋を除いて、平屋かせいぜい2階建てまでだったかと思いますが、城の天守閣や寺の五重塔など、日本にも高層(中層?)建築は存在はしていました。当時、それらの建物で上層階のことは何と読んでいたのでしょうか。

まだ全然調べたりもしていないので、自分の中では謎のままですが、博物館の学芸員さんなら知っているかな?
タグ:建物 英語
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ふざけるな!架空請求 [日常・社会]

私のところに先日、意表を突く架空請求書が郵送されてきました。

国際コレクトコールの通話料請求書でした。もちろん全く身に覚えはありません

中身もまあとにかくデタラメで、迷惑千万。バカタレ!!!と一喝してやりたくなるような請求書でした。その矛盾に満ちた内容を列挙します。


1.数年前まで住んでいた古い住所宛に、当時使っていた固定電話番号に対しての請求。

2.利用年月日には今年の日付が記されていたが、当然その日に私はその古い住所には住んでいない。しかも転居の際に電話番号も変更になり、現在は恐らく他人の電話番号になっているか、もしくは使われていない。

3.請求年月が○年○月分と記されていたが、利用日の日付が2011年なのに対して、請求年月の方は平成22年、すなわち2010年・・・。明らかに矛盾!!!

4.念のため、業者のサイトを見たところ、料金に関する説明のページがない。国際通話も本業ではない雰囲気で、何をしている企業か今一つつかめない。


1と2を見てもらえれば一目瞭然ですが、私がそのコレクトコールを受信することは物理的に不可能です。

しかも利用日と請求対象月が一致しておらず、ウソ丸出し。また、請求書としての体をなしていません。事務職の人間なら、絶対にやってはいけない類の間違いです。

詐欺的行為に対してこんなことを言うのも変ですが、仕事を真面目にやっていませんね。デタラメの宛先、デタラメの電話番号、デタラメの日付。いい加減にしろ!!!という感じです。

サイトも怪しいので、私が直接業者に連絡することは避けました。

支払期限が2週間後と、あまり時間もありませんでしたので、すぐに行政の消費者支援窓口に電話しました。請求書と封筒をFAXで窓口に送信し、こちらの状況も伝えた上で、行政の担当者の方が業者に問い合わせをしてくれました。

その結果、業者の方で請求を取り下げる、という結論を得ました。とりあえず一安心しました。

とんだ災難で驚きましたが、こういう時はまず行政に相談するのが一番的確と実感しました。担当者の方もとても丁寧に対応してくれました。

行政サイドにも今回の記録がきちんと残れば、今後世間で同じような案件が発生した際にも、対処の参考にしてもらえるのではと期待しています。


この業者が悪徳詐欺集団なのか、私は明確な証拠をつかんでいるわけではありません。しかし仮にこの業者が普通の企業で、単純にデタラメな処理をした会社としても、私にとっては架空請求であることに変わりありません。

もし普通の会社でこんなデタラメな請求書を作ったのなら、なぜそういうことになったのか、きちんと考えて、再発防止の手段をしっかり取らなければいけない話です。会社の信用にかかわると同時に、何の関係もない人間に、一方的に不愉快な思いをさせているわけですから。

ちなみにこの業者からは、私に対する謝罪の言葉は何もありません。業者が私に直接コンタクトを取りようがないとはいえ、行政の担当者経由の伝言すらありませんでした。
タグ:架空請求
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株主総会の議決権行使書を初めて送った [日常・社会]

各社の株主総会が一斉に開催される時期になりました。

私は何年か前から、数社の株式を保有しています。この時期になると、各社から株主総会の議決権行使書が届きます。しかし今まで、私は一度も提出した事がありませんでした。

一方で現在、東日本大震災における原発事故で、東京電力の責任が色々と問われています。それとともに、「株主責任」という文字も時々目にするようにもなりました。

正直のところ、私は今まで株主責任というものを、全く意識したことがありませんでした。

しかし今回の原発事故は、安全神話のもとにあぐらをかいて、国際的な忠告にも耳を貸さず、万一の事態への備えを怠った東京電力による人災と断定されつつあります。

そういう会社に資金を提供した株主も、間接的に人災をアシストした側面がある、ということなのかも知れません。あるいは、株価暴落という資産価値の減少を甘んじて受け入れる、ということが株主責任なのかも知れません。

私は某電力会社(東京電力ではありませんが)の株を持っています。今回の株主総会には、珍しく株主提案の議題もありました。その中には、株主としてだけでなく国民一人一人が考えなくてはならない、将来の日本のエネルギー政策に直結するようなテーマも含まれていました。

私もさすがに、今回ばかりは無関心というわけにもいかないと思いました。私はまだ「株主責任」というものをきちんとつかめていませんが、自分なりに考えつつ、議決権を行使することにしました。

各議題に賛否を選んで丸を付けて、個人情報保護シールを上から貼って、議決権行使書の葉書を投函しました。何となく選挙の投票に近い感覚でした。

余談になりますが、日本には現在国民投票の制度がありません。もし国民投票が将来実施されたら、多分こんな感じであれこれ考えて投票することになるのだろうなと想像しながら、ポストに投函しました。
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お客様は神様ではない [日常・社会]

「お客様は神様です」

この言葉は、いかにも日本で古くから使われていた言葉のように思われがちですが、実はそうではないようです。一説には、どうも戦後の高度成長期に故三波春夫が言い出して広まったっぽいです。

お客様を神様だと思って、相手の立場を考えながら丁寧に接する、というのはとてもよいことだと思います。私もかなり前、旧共産圏の国営商店と思われる店で、まるで買う人間より売る人間の方が偉いんだと言わんばかりの、横柄でやる気のない店員を見て、日本は素晴らしいと思ったりもしました。

ただ、問題は客の側の意識です。「お客様は神様です」を逆手にとって、「こっちは金を払っているんだから店は言うこと聞け」というような態度を客が露骨に示すのは、非常によくないと思います。

我々一般人の多くは、客や消費者であると同時に、職業人としての顔も持ち合わせています。客としての立場をあまりにも強調し過ぎた生活に終始していると、それは巡り巡って自分の仕事に跳ね返ってくるような気がしてなりません。

だからといって、何でもなあなあでいいと言うつもりもありませんし、どこかの国のように、例えば家の修理を明日頼んだのに、結局業者が来たのは3日後、というような話が当たり前になってしまうのは、私も困ります。

しかし、クレーマーのような客は、これはかえって社会に害を与えます。サービスはあくまでも対価に見合う範囲内でしか提供できないものだとも思います。

「因果応報」という言葉が何となく頭に浮かんでしまいますが、私も気をつけたいものです。
タグ:クレーマー
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