SSブログ

<文京区史跡散歩> 3 宮沢賢治旧居跡 [旧居跡]

東京の文京区本郷にあります。樋口一葉旧居跡の割と近くにあるのですが、意外と見過ごしてしまいそうな場所にあります。地元の観光地図にはかろうじて載っていたような気がします。

短い階段状の坂に案内板がありますが、案内板の立っている場所ではなく、この写真に写っているアパートの2階の真ん中あたりに住んでいたようです。当然当時の建物は木造だったと思いますが。

宮沢賢治旧居跡
宮沢賢治旧居跡 説明

<文京区史跡散歩> 2 坪内逍遥旧居跡 [旧居跡]

ここも地元の人以外にはあまり知られていないのではと思います。かろうじて文京区のホームページに載っていました。炭団坂(たどんざか)という坂のすぐ脇にあります。最寄駅は地下鉄の春日駅か本郷三丁目駅になるでしょうか。樋口一葉旧居跡や金田一京助・春彦旧居跡にも非常に近い場所にあります。

http://www.city.bunkyo.lg.jp/visitor_kanko_shiseki_haka_tsubouchi.html

現在はビルが建っていますが、目の前はこんな感じで崖のようになっています。この一帯は意外と起伏があります。

坪内逍遥旧居跡
坪内逍遥旧居跡 説明

炭団坂はこんな感じです。階段になっていて、車は通れません。

炭団坂
炭団坂 説明

<文京区史跡散歩> 1 金田一京助・春彦 旧居跡 [旧居跡]

東京の文京区には、かつての文化人の旧居跡が数多くありますが、ここは地元の観光案内図にも多分載っていないかと思います。私も偶然見つけました。最寄駅は地下鉄の春日駅になるでしょうか。

この所在地は言葉ではなかなか説明が難しいのですが、とある坂の途中にあって、財務省の真砂住宅のすぐ近くです。案内板には本郷4丁目11-6とありますので、ご興味のある人はそれを足がかりにして下さい。

この周辺は特に文化人の旧居跡が集中している一帯で、樋口一葉旧居跡もかなり近くにあります。直線距離にして30m程度のところですね。実際はかなり迂回しないとたどり着きませんが。

金田一京助と春彦といえば、既に双方とも亡くなっていますが、言語学者・国語学者として名前が知られています。金田一京助という名前は、小学生向けの国語辞典などでよく見かけましたが、息子の春彦が生前テレビで、あれは名前を貸していただけで、編纂に直接かかわっていたわけではない、というようなことを言っていました。

金田一京助・春彦 旧居跡
金田一京助・春彦 旧居跡 説明
タグ:旧居跡

近藤勇 生家跡 [旧居跡]

幕末の新選組局長・近藤勇の生家跡が、東京の調布市内にあります。

この生家跡は、調布市内といっても調布の北のはずれに位置していて、三鷹市との境にも近いです。京王線の調布駅からは遠すぎるので、要注意です。

最寄駅は西武多摩川線の多磨駅で、一応徒歩圏内です。この駅は多磨霊園の最寄駅ですが、多磨霊園とは反対方向に進みます。駅の脇を東西に走っている人見街道を、線路を渡って東の方向へ歩くと、約15分でたどり着くと思います。バスもあるようです。

多磨駅

生家跡はちょうど調布飛行場と野川公園に挟まれた場所にあり、野川公園の南出口から目と鼻の先です。野川公園にはこんな標識もあります。

野川公園 案内板

生家跡には現在、井戸が残されています。また、小さいですが近藤神社というのもあります。

近藤勇 生家跡
近藤勇 生家跡 2 近藤勇 産湯の井戸
近藤勇 生家跡 案内板
近藤神社 案内板

また、生家跡の南向かい辺り、道路をまたいだところに、天然理心流の道場だった建物が移築されています。民家なので、外から見るだけになりますが、近藤勇の娘婿による、撥雲館という道場です。

撥雲館
撥雲館 案内板

与謝野鉄幹・晶子 居住跡 [旧居跡]

ここも知る人ぞ知る東京の史跡です。地図にも殆ど明示されていません。私もたまたま通りがかって目に入り、あわてて写真に収めた次第です。

場所は私の記憶では、靖国神社の北にある東京逓信病院の前の坂を下った途中の一角にあったと思います。その一角だけ樹木が植えられています。

与謝野鉄幹と晶子は共に明治時代の歌人であり、特に与謝野晶子は教科書にも出てくる人物で、一般にもよく知られている人物だと思います。また自民党を離党した与謝野元財務相はその孫です。

与謝野鉄幹・晶子 居住跡
与謝野鉄幹・晶子 居住跡 案内

ここだけを見に行く価値は、世間の大多数の人たちにとっては、まずないと思います。もし行くのであれば、これも見る価値は定かではありませんが、近くにアーネスト・サトウの庭園跡があるので、セットでどうぞ。ただし、当時の面影は全くないので、そのつもりで。

アーネスト・サトウの庭園跡は靖国神社北側の通り沿い、法政大学の敷地に面した歩道に案内板が設置されています。アーネスト・サトウは、幕末から明治にかけ20年以上日本に滞在したイギリスの外交官で、幕末維新期には度々その名前が登場する人物です。「一外交官の見た明治維新」という著書も残しています。

アーネスト・サトウ 庭園跡
タグ:旧居跡

勝海舟邸跡 [旧居跡]

東京の見向きもされない史跡の一つに数えてもいいでしょう。赤坂のTBSから徒歩圏内です。

史跡といっても案内文がある程度なので、京都の池田屋跡と似たようなものですね。歴史ファン以外には決しておすすめはできません。

この赤坂近辺には、勝海舟が住んでいた場所が3か所あります。

最初は赤坂見附のドトールコーヒー辺りにいたようです。私もその周辺を歩いてみたのですが、標識らしきものは何もなく、前もって調べていかないと全くわかりません。残念ながら写真も取り損ねました。

その後移ったのが、本氷川坂下の角地です。氷川神社脇から北に続く下り坂の突き当たりにあります。現在は飲食店になっています。店の前の壁に案内文があります。幕末の激動期はここで暮らしていたようです。

3526772 3526773

そこから少し歩いたところに、明治5年に移り住んでいます。旧氷川小学校の場所で、現在は港区の児童施設と老人ホームになっています。敷地の南東の角に石碑と案内文があります。

3526774

ここは小学校建設の際に勝海舟の子孫が土地を寄付したようです。その際、勝家は小学校の敷地に隣接した土地に移ったようですが、周辺を軽く歩いてみても、どこなのかちょっとわかりませんでした。もしかするとマンションか何かになっているかも知れません。不審者に間違われてもいけないので、あまり探さない方がいいでしょう。

石川啄木終焉の地 [旧居跡]

東京の文京区小石川にあります。文京区は、樋口一葉が住んでいたり、加賀藩の屋敷跡がそのまま東京大学になったり、弥生式土器が出土したり、知る人ぞ知る歴史に絡んだ土地が、実は数多くあります。

この石川啄木終焉の地は、場所でいうと小石川5丁目、小石川図書館から徒歩1分程度、東京地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅からも徒歩圏内です。といっても現在は確か事務機器メーカーの事務所になっていて、その建物の入口脇の壁にプレートが埋め込まれているだけなので、わざわざ遠くから見に行くような観光地では全くありません。

3491190

プレートの説明文にもありますが、当時はここは借家で、啄木は最晩年の1年足らずをここで過ごしたようです。結核で明治45年に26歳の若さで亡くなっています。戒名が啄木居士だったとは知りませんでした。

現地の少し北のブロック塀には、こんな案内もありました。文字がかすれているので、気がつかずに通り過ぎてしまうかも知れません。

3491191
タグ:石川啄木

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。