五料の茶屋本陣 [歴史的建造物]
群馬県の松井田と横川の間にある、江戸時代の名主屋敷です。
1806(文化3)年の建築で、群馬県指定史跡になっています。
江戸時代には大名や公家の休息所として利用され、明治に入ると、明治天皇の巡幸の際の「御小休所」としても使われました。
座敷から眺める庭と、その奥に見える妙義山が見事です。
敷地のすぐ後ろを上信越自動車道が走っていて、かろうじて立ち退きを免れた格好です。
入館料は大人210円。駐車場は比較的広いです。
http://www.city.annaka.gunma.jp/gakushuunomori/bunkazai/goryouchaya.html
1806(文化3)年の建築で、群馬県指定史跡になっています。
江戸時代には大名や公家の休息所として利用され、明治に入ると、明治天皇の巡幸の際の「御小休所」としても使われました。
座敷から眺める庭と、その奥に見える妙義山が見事です。
敷地のすぐ後ろを上信越自動車道が走っていて、かろうじて立ち退きを免れた格好です。
入館料は大人210円。駐車場は比較的広いです。
http://www.city.annaka.gunma.jp/gakushuunomori/bunkazai/goryouchaya.html
日銀本店 [歴史的建造物]
常盤橋門跡と常盤橋 [歴史的建造物]
東京の千代田区と中央区の境に位置していて、すぐ脇には日本銀行があります。
常盤橋門跡は、東京に現在も残る数少ない江戸城の遺構で、一見の価値はあります。石垣が見事です。
常盤橋門の脇には、渋沢栄一の銅像があります。渋沢栄一は日本資本主義の父とも言われ、国立銀行条例の制定や第一国立銀行ほか多くの銀行の設立に携わった人物です。
常盤橋は、常盤橋門の目の前にあります。現存する常盤橋は、明治時代に造られた石橋で、現在は歩行者専用の橋となっています。橋の向こうに日銀の建物も見えます。橋の上を走るのは首都高速道路です。
最寄駅は地下鉄の三越前か大手町ですが、JRの東京駅からも一応徒歩圏内です。
http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/364/Default.aspx
http://www.chuo-kanko.or.jp/guide/spot/nihonbashi/nihonbashi_09.html
常盤橋門跡は、東京に現在も残る数少ない江戸城の遺構で、一見の価値はあります。石垣が見事です。
常盤橋門の脇には、渋沢栄一の銅像があります。渋沢栄一は日本資本主義の父とも言われ、国立銀行条例の制定や第一国立銀行ほか多くの銀行の設立に携わった人物です。
常盤橋は、常盤橋門の目の前にあります。現存する常盤橋は、明治時代に造られた石橋で、現在は歩行者専用の橋となっています。橋の向こうに日銀の建物も見えます。橋の上を走るのは首都高速道路です。
最寄駅は地下鉄の三越前か大手町ですが、JRの東京駅からも一応徒歩圏内です。
http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/364/Default.aspx
http://www.chuo-kanko.or.jp/guide/spot/nihonbashi/nihonbashi_09.html
小江戸蔵里 [歴史的建造物]
埼玉・川越の街のど真ん中にある、レトロな新名所です。2010年10月に誕生しました。
ここには旧鏡山酒造の蔵が3つあり、国の登録有形文化財に指定されています。いずれもかなり大きな蔵です。
その蔵の中には、地元の酒やスイーツの店が入っています。レストランもあります。また地元の野菜も売られています。一角には祭りの屋台もあります。
http://www.machikawa.co.jp/
ここには旧鏡山酒造の蔵が3つあり、国の登録有形文化財に指定されています。いずれもかなり大きな蔵です。
その蔵の中には、地元の酒やスイーツの店が入っています。レストランもあります。また地元の野菜も売られています。一角には祭りの屋台もあります。
http://www.machikawa.co.jp/
林扶美子記念館 [歴史的建造物]
「放浪記」の作者として知られている、林扶美子の旧宅です。東京・新宿区にあり、現在は新宿区が管理して、一般公開されています。最寄駅は西武新宿線と都営地下鉄大江戸線の中井駅で、徒歩10分かかりません。
林扶美子(1903~1951)はこの家で、晩年の10年間を過ごしています。晩年といっても、40代の執筆活動の真っ最中に亡くなっていますので、決して老年を過ごしたわけではないのですが。心臓麻痺によりこの自宅で急死し、葬儀委員長は川端康成が務めたりもしています。
木造平屋の建物2棟からなり、かなり保存状態もよいと思います。画家であった夫・緑敏のアトリエは、現在は展示室として利用されています。展示室以外は建物の中に入ることはできませんが、庭からほぼ全ての部屋が見通せるようになっています。
林扶美子記念館
東京都新宿区中井2-20-1
http://www.ragasu-shinjuku.or.jp
林扶美子(1903~1951)はこの家で、晩年の10年間を過ごしています。晩年といっても、40代の執筆活動の真っ最中に亡くなっていますので、決して老年を過ごしたわけではないのですが。心臓麻痺によりこの自宅で急死し、葬儀委員長は川端康成が務めたりもしています。
木造平屋の建物2棟からなり、かなり保存状態もよいと思います。画家であった夫・緑敏のアトリエは、現在は展示室として利用されています。展示室以外は建物の中に入ることはできませんが、庭からほぼ全ての部屋が見通せるようになっています。
林扶美子記念館
東京都新宿区中井2-20-1
http://www.ragasu-shinjuku.or.jp
タグ:記念館
旧堀田邸 [歴史的建造物]
千葉県の佐倉市にある、旧佐倉藩主堀田家の旧邸です。国の重要文化財に指定されています。
佐倉藩は譜代大名の領地でしたので、江戸時代を通じて何回か大名が入れ替わっています。堀田氏はその中でも最も長く佐倉藩主を務めています。幕末の際の藩主堀田正睦(まさよし)は、黒船来航時の幕府老中で、その次の正倫の代で明治維新を迎えています。
この旧堀田邸は、明治の廃藩置県から20年余り後に、それまで佐倉を離れていた最後の藩主堀田正倫が再び佐倉に戻ってきた際に建てた邸宅です。佐倉城は当時陸軍の部隊が駐屯していたため戻れず、そのため別の土地に屋敷を構えることになりました。
堀田正倫は農事試験場を経営し、また当時の佐倉中学などへ多額の寄付を続けたことでも知られています。
当時の敷地のうち、北半分は現在、社会福祉法人の施設となっており、南半分の屋敷と庭園がほぼ当時のまま保存され、公開されています。また農事試験場は現在は宅地になっています。
屋敷では説明員の方が待機していて、丁寧に説明してくれます。各部屋の壁や天井、襖の違いなどから、その部屋を使っていた人の身分の高低などが判断できることなど、他の屋敷を見る際にもかなり参考になるようなことまで、色々と説明してくれました。
現地はJR佐倉駅から徒歩約15分ですが、佐倉は他にも見どころがありますので、JR佐倉駅前か京成佐倉駅近くの観光案内所でレンタサイクルを借りるのもいいかも知れません。
旧堀田邸
千葉県佐倉市鏑木町274番地
http://www.city.sakura.lg.jp/shisetu_guide/hottatei/hottatei.htm
佐倉藩は譜代大名の領地でしたので、江戸時代を通じて何回か大名が入れ替わっています。堀田氏はその中でも最も長く佐倉藩主を務めています。幕末の際の藩主堀田正睦(まさよし)は、黒船来航時の幕府老中で、その次の正倫の代で明治維新を迎えています。
この旧堀田邸は、明治の廃藩置県から20年余り後に、それまで佐倉を離れていた最後の藩主堀田正倫が再び佐倉に戻ってきた際に建てた邸宅です。佐倉城は当時陸軍の部隊が駐屯していたため戻れず、そのため別の土地に屋敷を構えることになりました。
堀田正倫は農事試験場を経営し、また当時の佐倉中学などへ多額の寄付を続けたことでも知られています。
当時の敷地のうち、北半分は現在、社会福祉法人の施設となっており、南半分の屋敷と庭園がほぼ当時のまま保存され、公開されています。また農事試験場は現在は宅地になっています。
屋敷では説明員の方が待機していて、丁寧に説明してくれます。各部屋の壁や天井、襖の違いなどから、その部屋を使っていた人の身分の高低などが判断できることなど、他の屋敷を見る際にもかなり参考になるようなことまで、色々と説明してくれました。
現地はJR佐倉駅から徒歩約15分ですが、佐倉は他にも見どころがありますので、JR佐倉駅前か京成佐倉駅近くの観光案内所でレンタサイクルを借りるのもいいかも知れません。
旧堀田邸
千葉県佐倉市鏑木町274番地
http://www.city.sakura.lg.jp/shisetu_guide/hottatei/hottatei.htm
旧天城トンネル [歴史的建造物]
伊豆半島の天城峠の下を走るトンネルです。明治38年に造られた石造りのトンネルで、国の重要文化財に指定されています。全長は445.5mあります。
現在は並行して国道414号線の新天城トンネルが走っているので、車の通行は殆どありませんが、こちらの古いトンネルも地図で見る限りは、現在も国道指定されているようです。
私も一度だけ車でここへ来たことがあります。湯ヶ島側から河津側へ北から南へ抜けたのですが、トンネルの前後、細い道をかなりくねくね走ったような記憶があります。
トンネルは狭くて、車がすれ違えないような幅だったと思います。その割に長いトンネルなので、トンネル内を走っている間、対向車が来ないか少しハラハラしながら通り過ぎました。
実際は、対向車が来ていれば、トンネルに入る前に相手のライトが見えるはずなので、トンネル内で立ち往生ということは、まずないだろうと思います。でもそれは、通り過ぎた時点で初めて大丈夫だと感じることかも知れませんね。
http://www.amagigoe.jp/00TOP09.html
現在は並行して国道414号線の新天城トンネルが走っているので、車の通行は殆どありませんが、こちらの古いトンネルも地図で見る限りは、現在も国道指定されているようです。
私も一度だけ車でここへ来たことがあります。湯ヶ島側から河津側へ北から南へ抜けたのですが、トンネルの前後、細い道をかなりくねくね走ったような記憶があります。
トンネルは狭くて、車がすれ違えないような幅だったと思います。その割に長いトンネルなので、トンネル内を走っている間、対向車が来ないか少しハラハラしながら通り過ぎました。
実際は、対向車が来ていれば、トンネルに入る前に相手のライトが見えるはずなので、トンネル内で立ち往生ということは、まずないだろうと思います。でもそれは、通り過ぎた時点で初めて大丈夫だと感じることかも知れませんね。
http://www.amagigoe.jp/00TOP09.html
旧新橋停車場 [歴史的建造物]
東京の新歴史名所といってもよいでしょう。意外と穴場です。しかも無料!
日本で最初に開業した鉄道が新橋-横浜間だったというのは、世間でも割と知られていると思います。教科書にも載っていますね。1872(明治5)年のことでしたが、その始発駅だったのが、この新橋停車場です。
この新橋停車場は、1914(大正3)年の東京駅の開業に伴い、貨物専用駅に転じて、以後汐留駅として1986(昭和61)年に廃止されるまで利用されていました。
この間、駅舎は関東大震災で焼失し、その後1934(昭和9)年の改良工事によって、残っていたプラットホームなども撤去解体されていました。
汐留駅廃止後の再開発の際に発掘調査が行われ、駅舎の礎石やプラットホームの遺構などが確認され、コンピューター解析などを駆使しながら、当時と同じ位置に駅舎が再現されました。
現在は1階がレストラン、2階が鉄道歴史展示室となっています。再現された軌道やプラットホームは、建物の外から見ることができます。
場所はJR新橋駅から徒歩10分以内、ゆりかもめの汐留駅からも徒歩圏内です。銀座からも実は近いです。施設の規模は小さいので、見物にもそんなに時間はかかりません。
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
東京都港区東新橋1丁目5番3号
http://www.ejrcf.or.jp
日本で最初に開業した鉄道が新橋-横浜間だったというのは、世間でも割と知られていると思います。教科書にも載っていますね。1872(明治5)年のことでしたが、その始発駅だったのが、この新橋停車場です。
この新橋停車場は、1914(大正3)年の東京駅の開業に伴い、貨物専用駅に転じて、以後汐留駅として1986(昭和61)年に廃止されるまで利用されていました。
この間、駅舎は関東大震災で焼失し、その後1934(昭和9)年の改良工事によって、残っていたプラットホームなども撤去解体されていました。
汐留駅廃止後の再開発の際に発掘調査が行われ、駅舎の礎石やプラットホームの遺構などが確認され、コンピューター解析などを駆使しながら、当時と同じ位置に駅舎が再現されました。
現在は1階がレストラン、2階が鉄道歴史展示室となっています。再現された軌道やプラットホームは、建物の外から見ることができます。
場所はJR新橋駅から徒歩10分以内、ゆりかもめの汐留駅からも徒歩圏内です。銀座からも実は近いです。施設の規模は小さいので、見物にもそんなに時間はかかりません。
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
東京都港区東新橋1丁目5番3号
http://www.ejrcf.or.jp