オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 37.宿で会ったブラジル人 [オランダ]
夜に宿へ戻ると、今度はブラジル人3人がいました。ブラジル人はあまり英語が話せないと思っていたら、彼らは英語を普通によくしゃべるので、少し話ができました。
私はブラジル音楽、特にボサノバに興味を持っていて、アントニオ・カルロス・ジョビンの名前を出したら、その名前がリオデジャネイロの国際空港に付けられている、というのは彼らも知っていました。しかし残念ながら、そのブラジル人はボサノバもサンバも好きではないらしく、普段はロックを聴くと言っていました。
日本にはブラジル人が多く住んでいる地域がいくつかあるということを話すと、彼らはnoisyではないかと聞かれました。日本に移住しているブラジル人達のことを、一段低く見ているような雰囲気を感じました。
その3人はバルセロナからオランダへ来て、この後はスコットランドへ行くと言っていました。バルセロナは危ない街という印象を持っていたので聞いてみたら、ブラジルの方が危ないという答えが返ってきました。
酒を飲みに行くので一緒にどうかと誘われましたが、旅先では私は殆どアルコールを飲まず、翌朝も早く動くつもりだったので、残念ではありましたが私は辞退しました。
私はブラジル音楽、特にボサノバに興味を持っていて、アントニオ・カルロス・ジョビンの名前を出したら、その名前がリオデジャネイロの国際空港に付けられている、というのは彼らも知っていました。しかし残念ながら、そのブラジル人はボサノバもサンバも好きではないらしく、普段はロックを聴くと言っていました。
日本にはブラジル人が多く住んでいる地域がいくつかあるということを話すと、彼らはnoisyではないかと聞かれました。日本に移住しているブラジル人達のことを、一段低く見ているような雰囲気を感じました。
その3人はバルセロナからオランダへ来て、この後はスコットランドへ行くと言っていました。バルセロナは危ない街という印象を持っていたので聞いてみたら、ブラジルの方が危ないという答えが返ってきました。
酒を飲みに行くので一緒にどうかと誘われましたが、旅先では私は殆どアルコールを飲まず、翌朝も早く動くつもりだったので、残念ではありましたが私は辞退しました。
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 36.再びダム広場へ [オランダ]
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 35.コーフ・ザーンデイク駅周辺 [オランダ]
ザーンセ・スカンスからコーフ・ザーンデイク駅に戻る途中の住宅街です。何となくアメリカに似た風景に見えました。郵便局もありました。
途中、風車博物館というのがありました。風車の模型が沢山展示されていて、のこぎりをひく風車もありました。受付の人が人懐っこくて、旅のことを色々と聞かれました。ベルギーに行ってきたことなどを話しました。
駅の脇を走る幹線道路です。スズキの車がちょうど通過しました。
駅に無事戻りました。
途中、風車博物館というのがありました。風車の模型が沢山展示されていて、のこぎりをひく風車もありました。受付の人が人懐っこくて、旅のことを色々と聞かれました。ベルギーに行ってきたことなどを話しました。
駅の脇を走る幹線道路です。スズキの車がちょうど通過しました。
駅に無事戻りました。
タグ:オランダ
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 34.ザーンセ・スカンス 2 [オランダ]
ザーンセ・スカンスには、木靴の工房もあります。
こちらは商人の家。衣装の博物館になっています。中では民族衣装を着る様子がDVDで流されていましたが、他の人の助けを借りないととても一人では着ることのできない衣装でした。
こちらはコーヒー資料館。入場無料。
古い民家もあります。
のどかな田園風景です。
こちらは商人の家。衣装の博物館になっています。中では民族衣装を着る様子がDVDで流されていましたが、他の人の助けを借りないととても一人では着ることのできない衣装でした。
こちらはコーヒー資料館。入場無料。
古い民家もあります。
のどかな田園風景です。
タグ:オランダ
天野遠景の墓 [伊豆長岡・韮山]
伊豆長岡(伊豆の国市天野)に、源頼朝の家臣で鎌倉時代の武将・天野遠景の墓があります。東昌寺の少し南にあります。
細い道の入口に、このような案内板があります。
更に歩いていくと、突き当たりに墓があります。意外と質素です。
友人にこの天野氏の子孫がいて、一緒にこの墓へ行ったのですが、ちょうど墓に別の天野氏の子孫の人が来ていて、一同驚きました。何百年かさかのぼれば、どこかでつながるという間柄の方々でした。
細い道の入口に、このような案内板があります。
更に歩いていくと、突き当たりに墓があります。意外と質素です。
友人にこの天野氏の子孫がいて、一緒にこの墓へ行ったのですが、ちょうど墓に別の天野氏の子孫の人が来ていて、一同驚きました。何百年かさかのぼれば、どこかでつながるという間柄の方々でした。
タグ:墓
元祖登米銘菓 瓦せんべい 木の実入り [菓子類]
1枚1枚がかなり大きい、インパクトのある登米土産です。宮城・登米市(旧登米町)で買いました。
硬すぎず、柔らかすぎず、手頃な食べ応えです。また無添加・無着色・防腐剤不使用で、安心です。
(有)みちのく青葉屋の商品で、現在は石巻で製造されていますが、1977年に登米で創業しています。
http://www.tome-city.com/aobaya/
http://www.tometome.jp/shop/item_list?category_id=234924&cur=2&sort=7&num=10
タグ:土産
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 33.ザーンセ・スカンス 1 [オランダ]
アムステルダム近郊のザーンセ・スカンスへ行きました。長いので、2回に分けて書きます。
アムステルダム中央駅から各駅停車(Sprinter)で15分程、コーフ・ザーンデイクという駅で下車しました。
駅から15分程歩き、途中、住宅地を抜けて、川にかかる大きな橋を渡ると、対岸に風車がたくさん見えてきます。ここがザーンセ・スカンスです。オランダの伝統的な民家や風車が集められた区域です。
「猫の風車」という名の風車があるのですが、ここは現在も稼働していました。多分この風車だったと思うのですが。
風車の中も見ることができます。料金は当時2.5ユーロでしたが、窓口の人に日本語で「2.5」と言われました。外国でのちょっとした配慮、うれしいです。
風車の上から見た風景です。風車の背後に広大な牧草地が広がっています。羊やカモ、ニワトリなどがいました。
ここは観光バスで来る人が多いようで、私が行った時は、中国人観光客らしき団体がいました。家畜が餌をもらっていました。
アムステルダム中央駅から各駅停車(Sprinter)で15分程、コーフ・ザーンデイクという駅で下車しました。
駅から15分程歩き、途中、住宅地を抜けて、川にかかる大きな橋を渡ると、対岸に風車がたくさん見えてきます。ここがザーンセ・スカンスです。オランダの伝統的な民家や風車が集められた区域です。
「猫の風車」という名の風車があるのですが、ここは現在も稼働していました。多分この風車だったと思うのですが。
風車の中も見ることができます。料金は当時2.5ユーロでしたが、窓口の人に日本語で「2.5」と言われました。外国でのちょっとした配慮、うれしいです。
風車の上から見た風景です。風車の背後に広大な牧草地が広がっています。羊やカモ、ニワトリなどがいました。
ここは観光バスで来る人が多いようで、私が行った時は、中国人観光客らしき団体がいました。家畜が餌をもらっていました。
タグ:オランダ
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 32.宿で会った日本人 [オランダ]
宿へ戻ったら、パリ在住の日本人がいました。秋田出身の美容師の人でした。見た目は20代~30歳前後だったか?この数週間後一旦日本に戻り、今度はアムステルダムで働くという話でした。行動のエネルギーがすごい人でした。
この人とは翌日の朝食もご一緒しました。今回は仕事でアムステルダムへ来ていたようで、朝食の後は6時までアムステルダムで仕事をして、6時半にはドイツへ出発するという話でした。確かドイツでも仕事だったようです。
パリやヨーロッパの話も色々聞けました。当時の話ではありますが、こんな感じでした。
・アムステルダムは物価が高い。パリの方が安い。バックパッカーもだいたいオランダは一日で通過してしまう。
・ヨーロッパの長距離バスは鉄道の約半額。ブリュッセル経由が多い。
・現金を沢山持っていると危ない。パリでナイフを突き付けられ、両手両足身ぐるみはがされたことがあった。
・パリの店は日曜にはほぼ全部閉まってしまう。営業するためには従業員に割増賃金を払い、税金もかなり払わなければならず、経営者は割に合わない。
・パリは店丸ごとバカンスで休んでしまうこともある。
・その代わり給料は安いようで、30歳で2000ユーロもらっている人は滅多にいない。所得税も高い。
・パリはゴミの分別をまともにやっていない。
・ヨーロッパでは、夏時間から冬時間(標準時間)への切り替えは何の問題もなく行われている。
偶然出会った日本人でしたが、外国の旅先で日本人に会うと、それまで無意識に持ち続けていた緊張感がふっと和らいで、安心した気分になれます。
この人とは翌日の朝食もご一緒しました。今回は仕事でアムステルダムへ来ていたようで、朝食の後は6時までアムステルダムで仕事をして、6時半にはドイツへ出発するという話でした。確かドイツでも仕事だったようです。
パリやヨーロッパの話も色々聞けました。当時の話ではありますが、こんな感じでした。
・アムステルダムは物価が高い。パリの方が安い。バックパッカーもだいたいオランダは一日で通過してしまう。
・ヨーロッパの長距離バスは鉄道の約半額。ブリュッセル経由が多い。
・現金を沢山持っていると危ない。パリでナイフを突き付けられ、両手両足身ぐるみはがされたことがあった。
・パリの店は日曜にはほぼ全部閉まってしまう。営業するためには従業員に割増賃金を払い、税金もかなり払わなければならず、経営者は割に合わない。
・パリは店丸ごとバカンスで休んでしまうこともある。
・その代わり給料は安いようで、30歳で2000ユーロもらっている人は滅多にいない。所得税も高い。
・パリはゴミの分別をまともにやっていない。
・ヨーロッパでは、夏時間から冬時間(標準時間)への切り替えは何の問題もなく行われている。
偶然出会った日本人でしたが、外国の旅先で日本人に会うと、それまで無意識に持ち続けていた緊張感がふっと和らいで、安心した気分になれます。
オランダ・ベルギー紀行 オランダ編 31.オランダ料理 [オランダ]
ライデンから電車でアムステルダムへ戻りました。駅の表示はオランダ語のみでしたが、どうも10分遅れの様子でした。アナウンスもオランダ語のみでしたが、結局6分遅れでインターシティに乗れました。しかし満席。途中で何とか座れました。そしてアムステルダムに着いた時には、遅れも解消されていました。
夕食は、アムステルダムのライツェ広場近くで偶然見つけた、The Pantry という店に入りました。ここは英語や他の言語のメニュー表がありました。私はヒュッツポットというオランダ料理を注文。
マッシュポテトの中にニンジンが混ざったものが3玉、その上に肉団子に似た見かけのものがのっています。出てきた時はかなりボリュームがありそうに見えましたが、食べてみるとそれほどでもなく、普通に食べきることができました。
宿へ帰る途中、ライツェ広場近くの細川という日本料理の店の近くだったと思いますが、地面でチェスをやっている人がいました。
夕食は、アムステルダムのライツェ広場近くで偶然見つけた、The Pantry という店に入りました。ここは英語や他の言語のメニュー表がありました。私はヒュッツポットというオランダ料理を注文。
マッシュポテトの中にニンジンが混ざったものが3玉、その上に肉団子に似た見かけのものがのっています。出てきた時はかなりボリュームがありそうに見えましたが、食べてみるとそれほどでもなく、普通に食べきることができました。
宿へ帰る途中、ライツェ広場近くの細川という日本料理の店の近くだったと思いますが、地面でチェスをやっている人がいました。
タグ:オランダ